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日々棒組み968 中島みゆきの「蕎麦屋」を聴いて(勝手に)思うことなど

中島みゆきに「蕎麦屋」って歌があって、好きな歌なので、友人とカラオケに行った時など皆が酔って寝静まった頃にひとりで静かに歌ったりしています。起こさないように。そんな静かな曲。
歌い出しが

“世界じゅうが誰もかも偉い奴に思えてきて
まるで自分ひとりだけがいらないような気がする時”

って石川啄木並みの自己否定感。
この後友人から電話が来てそばでも食わないかと誘われます。

“べつに今さらお前の顔見てそばなど食っても仕方がないんだけれど ”

と思いますが、結局蕎麦屋へ行きます。精神的に参っているので考える気力がなくて流される感じなのかもしれません。
友人と会ったのはのれんが風でバタバタして、ラジオで大相撲中継が流れているそんな蕎麦屋。
今まで何となく昼間なのかなくらいに思って聴いていましたが、大相撲中継が流れてるってことは遅めの昼食か早めの晩飯ってことだよな、と今思いました。
でも私は遅めの昼だと思います、きっと。大相撲中継は番付が下の方の取り組みを何だかんだ解説してる。のれんがバタバタするのが気になるくらいだから扉が一枚開いている。春から初夏の、気持ちよく腫れた日が浮かんできます。

そこで、“そばなど食っても仕方がない ”と思っていた “あたし” はたぬきうどんを食べてます。うどんなら食ってもいいや、と思ったんでしょう。そばじゃなく。
で、友人はこちらの苦しみを知ってか知らずか察したか(たぶん察した)、たあいない、笑える話に終始します。その間ものれんは風にバタバタなかされ、ラジオの大相撲中継も流れ続けてます。

やがて友人が発したある言葉に “あたし” は涙を流してしまいます。なんかカチッとはまってしまったみたいです。流したのは “くやし涙”でした。
そしてやっぱりのれんはばたばたラジオは大相撲中継。

というそんな歌。

私はこの歌を聴いていると丘の上にポツンと建っている蕎麦屋が頭に浮かんでくるんですがそんなとこじゃ客なんか来なそうですね。でもいつもそんな蕎麦屋が浮かんできちゃう。

「蕎麦屋」は1980年発表の曲です。
今はちょっと変わってきているように思えますが、当時は中島みゆきといえば「暗い」と言われる時代でした。好きな歌手を訊かれて「中島みゆ」と言いかけたところで「暗い!」って返ってくるような、そんな時代もあったねと。「中島みゅくらい」かよ、と。
なんしろ「蕎麦屋」収録アルバムのタイトルは『生きていてもいいですか』だから。1曲目が「うらみ・ます」だから。とどめに「エレーン」が入ってるから。暗い暗い。
そんな中、苦しみを察してくれる友人がいるのが救いですね、「蕎麦屋」は。だから好きなのかも。

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