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10月18日、バロック・オペラ、黄金期の輝き、伝説のスター・カストラート、セネジーノが蘇る!

アメリカのカウンターテナー、ランドール・スコッティングが、ローレンス・カミングスの指揮、エイジ・オブ・エンライトゥンメント管の伴奏で、伝説のスター・カストラート、セネジーノが歌ったアリアを掘り起こす、"THE CROWN"。

"セネジーノ"こと、フランチェスコ・ベルナルディ(1686-1759)。
イタリア、シエナ出身("セネジーノ"とは、シエナ人の意味... )で、シエナ大聖堂の聖歌隊で歌い、音楽の道を歩み出し、1707年、ヴェネツィアでオペラ・デビューを果たす。1717年、ザクセン選帝侯の宮廷からオファーを受け、ドレスデンの宮廷劇場で活躍。1720年、ヘンデルにヘッド・ハンティングされ、ヨーロッパ随一の国際音楽マーケット、ロンドンへと渡り、いろいろ悶着ありつつ(ヘンデルと決裂し、一時期、イタリアへ帰ったり、ヘンデルのライヴァル・カンパニーに移籍したり... )も、人気を誇った。が、やがてイタリア・オペラの勢いが衰えてくるとロンドンを離れ(1736)、トリノ(1736-37)、フィレンツェ(1737-39)、ナポリ(1739-40)で歌い、引退。故郷へと帰り、すでに建てていた英国風邸宅にて、悠々自適の余生を送った。

というセネジーノが歌ったアリアの数々... ドレスデン時代に歌った、ヴェネツィアの大家、ロッティ(1667-1740)の『アスカニオ』(1718)に、ロンドン時代、ヘンデルの同僚にしてライヴァルたち、アリオスティ(1666-1729)の『コリオラーノ』(1723)、『ヴェスパシアーノ』(1724)に、ボノンチーニ(1670-1747)の『グリゼルダ』(1722)から2曲、一時帰国しヴェネツィアで歌った、オルランディーニ(1676-1760)の『アデライーデ』(1729)から2曲、ロンドンを後にして、トリノで歌った、ジャコメッリ(1692-1740)の『デメトリオ』(1736)、トリノの宮廷楽長、ジャイ(1690-1764)の『エウメーネ』(1737)から2曲、フィレンツェで歌った、フィレンツェの宮廷楽長、オルランディーニの『オリンピアーデ』(1737)、ナポリで歌った、リストーリ(1692-1753)の『シリアのアドリアーノ』(1739)... イタリアの作曲家、7人による、12のアリアが歌われる、"THE CROWN"。かなーり、マニアックです。

てか、見事、ヘンデルを外してくるスコッティング!大胆というか、退路を断つというか、ガチで"セネジーノ"を歌いにきているのだなと... そうして歌われる、本場、イタリアの作曲家たちのアリアの輝かしいこと!より花々しく、よりたっぷりと歌い、いや、"歌の国"を改めて意識させられるアリアの数々... で、それらセネジーノのために書かれたもの... 堂々と、麗しく、深くすらあって、どのアリアも魅了される!魅了されながら、伝説のスター・カストラートの在りし日の姿を見る思い... 感慨深い...

しかし、スコッティング(カウンターテナー)の歌いっぷりが見事です!格調高くも、表情に富み、詩情にも溢れ、聴く者をすっかり惹き込んでくる... いや、もう、セネジーノを呼び覚ます!で、カミングスの指揮、OAEが端正の演奏を繰り広げ、しっかりとスコッティングをサポート... また、挿まれる、アリオスティ、『コリオラーノ』の「死者たちの行進」、オルランディーニ、『アデライーデ』のメヌエットが、アクセントとなり、セネジーノがいたパノラマ、引き立てる!

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