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【小説】人間中央総合病院① 売れた売れない芸人

ここは人間中央総合病院。
総合病院という名にふさわしく、広い敷地に七階建ての立派な建物、広大な駐車場、イチョウの並木道。

今日も迷える患者が一人、自動ドアをくぐる。

無人受付機にて、マイナンバーカードをかざすと番号札が発行され、
待合所にて待つ。

「●番さん、1番診察室へお入りください。」

アナウンスが流れる。
診察室へ入ると、
医師が、パソコンから目を離し、くるりと90度イスを回転させてこちらを向く。

医師は50代後半ほどに見える男性で、
ロマンスグレイという言葉が似合う髪色は、七三に美しく分けられ、医師らしく白衣を着、医師らしく眼鏡をしていた。
眼鏡の奥の瞳は穏やかで、それでいて、何もかも見透かしてしまいそうな鋭さを持っていた。

医師の斜め後ろには、看護師が立っている。
看護師は、のっぺらぼうのように顔が無かった。
患者は少し驚くが、病院は人間の体を専門とするところだから、平々凡々な自分が知らなかっただけで、世の中には顔がないこともあるのだろうと、納得した。


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「今日は、どうしましたか?」
医師が尋ねる。

「俺は、お笑い芸人やってるんすけど、全然売れないんです。」

「ほほう。どんな具合ですか。」

「高校出てから、10年お笑いやってるんすけど、地下ライブばかりです。
他に人気のコンビの出演がない時は悲惨ですよ、お客さん、数人なんですから…。
ライブの終わりにお客さんに面白かった芸人の名前を書いてもらうんすけど、自分の名が出たことは一回もないすね。
他の芸人の金魚のフンだってことは…自分でもわかってるんです。
チケットを売りさばく要員だってことも。
俺は、ただ笑いを取りたい。
笑いをとって売れたいだけなんです。」

医師は、軽くうなづいて言った。
「状況はよく分かりました。
脳のMRIを撮ってみましょう。」
芸人は、のっぺらぼうの看護師に案内され、MRIの機械へベルトコンベアーに乗せられたマグロのように搬入された。

MRIが終わり、芸人は、しばしの間、診察室の前の簡易イスに座り、呼ばれるのを待つ。
「お入りださい。」

芸人が診察室に再び入ると、大きなモニターに脳の輪切り画像が複数枚、映し出され、それに医師が見入っていた。
医師はくるりと芸人に向き直し、姿勢を正した。
「お疲れ様でした。
MRIの結果を隅々まで見たのですが…はっきりお伝えしますと、笑いの要素が全く無い脳でした。
悪いことは言いません、職を変えた方がいいですよ。」
医師は、真剣な顔をして言った。
医師のデスク上の紙のカルテには「面白味絶無症」と書いてあった。

「そんな!俺は芸人として成功したいんです。
子供の頃からずっと抱いていた夢だったんです。
自分の言葉や動きで皆んなが笑う…そんな素敵なことってありませんよ。
俺が芸人を辞めるっていうことはありません!」

しばらくの沈黙の後、思案していた医師がデスクに正対し、カルテにサラサラと書き足した。
「夢現実乖離性症候群」

医師は、芸人の方に向き直し、口を開いた。
「方法があることにはありますがね。
あまりお勧めはしませんよ。
私がこれから処方する薬を飲めば、とにかく何を言っても爆笑間違いなしです。
実際、今ご活躍されている芸人の方々でこのお薬を飲んでいる方は何人かいらっしゃいます。」
「今の僕にぴったりじゃ無いですか!ぜひ処方してください。」
「希望するなら、出しましょう。」

診察室を出た芸人は、院内の薬局前のソファで呼ばれるのを待った。
“薬局”と書かれた看板の下に、小さな窓口があり、それは、パチンコ店を出てしばらく行った先にひっそりとある景品交換所のようなたたずまいだった。

「お待たせしました。」
他にソファで待っている人は居なかったので、芸人は自分の番だと察し、窓口へ行った。
小さな窓口からは、均一な肌色で、ツルツルとしたマネキンの手がにゅっと出てきた。
手は処方薬の紙袋を差し出した。
窓口は、マネキンと処方薬を出すだけの大きさで、その奥がどうなっているのかはうかがいしれない。

「ありがとうございます。」
芸人はお礼を言いながら処方薬を受け取ったが、小さな窓口は、ただただ無言だったため、芸人はその場を去った。

最初に受付をした無人受付機の横並びには、“無人精算機”と書かれた機械があり、芸人はそこで精算をして、病院を後にした。

家に帰り、処方薬の紙袋を開けると、沢山の錠剤と、薬の説明書が出てきた。
説明書には
「一日一錠。用法用量は必ず守りましょう。」
と記載があった。
錠剤は、一錠ずつにスマイルマーク、山型の目と半円の月のような口が笑った顔が刻まれたデザインだった。

芸人は早速、一錠飲んだ。
その晩の地下ライブでは、受けに受けた。
会場は笑いに包まれ、終了後のお客さんアンケートでは、一番面白かった芸人として、その芸人の名だけが書かれていた。
またたく間に評判は広まり、深夜のテレビのネタ番組の出演を皮切りに、一気に有名人となった。
ゴールデンのクイズ番組、レギュラー番組、雑誌のインタビュー、バラエティーの司会の仕事が次々と舞い込んだ。
お金はじゃんじゃん入り、街を歩けば騒ぎが起こる人気者になった。
熱狂的なファンが、泣きそうな顔で感激しながら握手を求めてくる。
SNSのフォロワーは爆発的に増えた。
短文を一つ投稿すればすぐさま何十万人が閲覧し、ハートマークが何万とすぐについた。
テレビのプロデューサーは、
「いいですよぉ、その言葉が欲しいって時にズバッと来ますね!」
と、芸人を褒め称えた。
芸人仲間は、
「あのタイミングでボケるとはさすがっすね!僕、もう腹が痙攣してましたわ。」
と絶賛と尊敬の眼差しを彼に向けた。

順風満帆に見えた彼の芸人人生だったが、一つ不可解な点があった。
本人には何がおもしろいのか全く分からなかったのだ。
おもしろくないことが口をついて出て、周りがどっと笑う違和感。

ある日、試しに、薬を飲まずにテレビに出た。
シーン。
笑っているのは自分だけ。
皆んなが、期待をした目で自分を見つめ話をいろいろ振ってくるけれど、自分がおもしろいと思って言うことはことごとく滑った。
「絶不調?!奇跡の一日!ことごとく滑る!」とネットニュースになった。
テレビのプロデューサーが、
「まぁ、そんな日もありますよ。」
と困った笑顔で慰めてくれた。
芸人仲間は、
「普段面白い人がさぁ、急にダダ滑りを連発すると、それはそれでなんかおもしろいよなぁ。」
と言った。
しかし、それは惰性での笑いだ。
そんな状況で売れ続けるわけがない。
彼は、滑り芸を求めているわけではない。

芸人は自力を諦めて、翌日から薬をまた飲み始めた。
受ける受ける。
全くおもしろいと思わないことで、目の前の人間が腹を抱えて笑っている。
CMが何本も決まった。
人気女優からのアプローチも多く受け、何人かと交際をした。
貯まりに貯まったお金で4億円の豪邸を建てた。
彼は栄華の絶頂を極めていた。

自分がおもしろいと思わないことで、皆んなが笑う…。
この奇妙な現象は、彼の心を次第にむしばんでいった。

金と人気を差し引いても、辛さが優った時、
やけっぱちで、芸人は処方薬を大量に服用した。
オーバードーズだ。
錠剤のスマイルマークはいつでも無情に笑っている。

オーバードーズした芸人は、そのままテレビのバラエティ番組の収録に臨んだ。
壊れたラジオのようにチグハグなお笑いっぽいものが、断片的に、芸人の口を忙しなく突いて出る。
「何を言うてますのんや!」
「おかしいやろ、それ!」
「もー、勘弁してくださいよぉ」
「おっ、いいよいいよぉ!」
「なぁんちゃってね!」
ずっこけたかと思うと、頭をポカっと殴って、お茶目に舌をペロっと出し、カメラの画角からはけたと思ったら、スライディングで戻って来る。
セットのギターを使って即興の歌を突然歌う。
周りは呆気に取られた。

それ以来、芸人には仕事が来なくなった。
芸人は、病院を探したけれど、もう二度と行けやしなかった。
あんな大きな建物を見過ごすわけが無いのに…。

SNSの更新は途絶えた。
いつの間にか、芸人は姿を消し、4億円豪邸は廃墟となった。
彼が今どこで何をしているか知る者はいない。

1年も経てば、あの時腹を抱えて笑っていた人々は、彼のことを忘れ、新たなスターに夢中になっていた。

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