タロットカード「Lovers」
ウエイトスミスのラバーズのカード。
「現代タロット」とも呼ばれています。
いろんな説がありますが、ゲーム用のトランプから始まったタロットカード。
古典のカードと比べて、このラバーズのカードは、最も図柄が変化したカードであると言われています。
日々の鑑定現場で、パートナーとの関係の相談を受けた時、必ずと言ってもいいほどクライアントさんに見ていただくウエイトスミスのラバーズ。
男女の本質的な違いを、うまく表現しているカードだと思います。
1.二極の対立する世界を生きる私たち
私たちはとりあえず、陰陽どちらかの「性」で初めは生まれていきます。
そして、その二つの対立する「性」について問い続けながら生きていく。
そもそも私たちが生きるこの世界そのものが、二極の対立する世界。
男性性or女性性
光or闇
昼or夜
天or地
物質を持っている以上、逃れたくても逃れられない二極の世界。
統合された一なる世界、無の世界を、体験される方もいらっしゃるようです。
その体験を求めて、マインドフルネスとか、ヨガとか瞑想とかがあり、ただ求めている時に体験できるものではないような気がします。
もちろん日常から離れる時間を持つという意味で、大切なワークだと思います。
わたし自身も月1度の瞑想会に参加していますが、目的は、日常から離れ、「ただ座る」時間を持つこと。
ふとした瞬間に訪れる、一瞬どこか別のゾーンに入り込んだ感覚みたいな体験は何度かあります。
ただその体験より二極の世界をしっかりと経験することのほうが、この世界にやってきた目的なのかなあと個人的に感じます。
2.タロットカードloversを通じて男女の本質を探る
ウエイトスミスのカードに描かれる男女。
男性側には、「生命の樹」があり、女性側には「知恵の実」があります。
生命の樹は精神性や物質文明を表し、知恵の実は物質文明を表しているとも。
いろんな解釈があると思いますが、男性性の「生きるという」能動性を
「生かされている」という受動性が受け止めている。
私個人は、そんな解釈。
このカードに描かれてる男性は、女性を見つめ、女性は大天使ラファエルを見つめている。
男性性と女性性の間には高く険しい山がある。
男性性が女性性にも求めるものは、「わかってほしい」「受け入れていほしい」という欲求であり、女性性はその受け入れがたい欲求を妥協しながら受け入れることで、大天使ラファエルに近づいていく。
高く険しい山を克服するのは、きっと女性性。
(あくまでも個人的意見です。)
ただ、女性性がラファエルに近づくためには、両極である男性性を表現する存在がないと、不可能なのかもしれません。
そして今たとえ直接接するパートナーがいるいないは関係なく、いてもいなくても私たちは相反する極性と向き合っています。
カバラ生命の樹と古事記
カバラの生命の樹でも、ケテル→コクマー→ビナーとソフィアーを降りていくプロセスが、古事記の天地創生の物語とリンクします。
まず光が生まれ、天が主体(見る側)と客体(見られる側)に分かれる。
それを古事記の世界では、
アメノミナカヌシから、タカミムスビ(主体)とカミムスビ(客体)に分かれることで表現されています。
その過程がケテル→コクマー。
そしてコクマー→ビナーの過程が、「神代7代」の神様たちがお生まれになるプロセスかなーと。
旧約聖書「創造の7日間」がそのプロセスに当てはまるのかしらと思ったり。(完全に一致はしないと思いますが)
(そして個人的意見です。)
神代7代の神様たちは、「並独り神となりまして、隠身なりき」
姿が見えなくて、天上界では神様たちは関わり合わない。
そして「神代7代」の神様たちがお生まれになられたのち、伊弉諾神と伊奘冉神が地上に降りて、「命(みこと)」となり、姿を表し、関わり合う。
私たちは、「関わりあう世界を生きている。」
この関わりあう世界に降りていくるプロセスが、個人的解釈ですが、ビナー(理解)からティファレト(光)のパス(通り道)と言われているプロセスかなあと。
そしてこのパスに割り当てられているのが、「Lovers」のカード。
またこのパスに当てはめれれているヘブライ文字が、「ザイン」。
「剣」を表します。
ビナーを「形態」、ティファレトを「個の源」とも表現され、陰陽両極に分かれていない、宇宙の形態が剣によって両極に切り分けられる。
なぜ分かれなければならなかったのでしょうか?
分かれることで生まれるものは何なのでしょうか?
このパスに「Lovers」という名のカードが当てはめれれてることが答えの一つかもしれません。
そして、古典のカードに描かれている、愛の天使クピトーは、私たちが分かれたからこそ生まれたのだそうです。
別れた一つの理由は、クピトーがもたらす「愛」の本質を学ため。
この二極の対立する世界でしか、「愛の学び」は体験できないことかもしれません。
生命の木と知恵の実
先ほども述べましたが、Loversのカードの男性側に生命の木、女性側に知恵の実。
イザナギ(木)とイザナミ(実)を表してるようにも思います。
ふたご座のカード
タロットカードは西洋占星術とも関連し、Loversのカードはふたご座に当てはめられます。
ふたご座のマーク♊️を鳥居⛩️の形に似ていると解釈される方もいらしゃいます。
ふたご座は知性、言語、コミュニケーションを司る水星に支配されます。
ふたご座に当てはめられたことで、ウエイトは古典の図柄を変えたのかもしれません。
(そのあたりはこれから研究したいところです。)
そして何かを肯定したら、何かを否定している。
これが二極の対立する世界を生きるということであり、言葉というツールの本質かも。
それぞれの正しさがある。
人間だけが持つコミュニケーションツール。
それぞれの違いを乗り越えた先に辿り着く、「愛の学び」のためにあるのではないでしょうか?
パートナーシップとは
天と地ほども違うもの同士が出逢うということ。
鑑定の現場で「相性」について聞かれることが多々あります。
完全に相性が良い人同士が、カップルになっていることはまずないかな。
逆に全く相容れない人同士が、カップルになっている場合も少ないです。
「悪くない」関係性の中で、まず男性性と女性性は両極なのだという前提で、関係性を育てていく。
そのためには、しっかりと言葉を使ってコミュニケーションをとること。
自分の想いを伝える前に、相手が「きっとこう考えている」「きっとこう言う」と決めつけて傷付き、関係性を拗らせていることが多いです。
長年の関係性の中で、そう思い込んでいるのではないかなと感じることがあります。
私もかつてそうだったと思います。
言葉で伝えようとすればするほど、伝わらない。
言葉はソード(剣)の象徴でもあります。
伝わらない原因は、相手のdoing、行動にフォーカスし、「こうして欲しい」という行動を変えることを求めているからではないかなあと。
その前に、どういう関係性を築きたいのか?
「being」
二人のあり方についてまず考えてみてほしい。
そしてなぜそうありたいのかということを、まず伝えてほしいなあと思います。
なんと言っても両極なので、完全に2人の想いが一致することはないということもないかも。
ギリギリ譲れる「落とし所」を二人でしっかりと話し合って見出してほしい。
それでも無理だなあと思ったら、それぞれの道を歩むこともありだと思います。
問題は話し合うためにある。
問題は解決するためにあるのではなく、話し合うためにある。
古事記の神様たちは、そうやって問題と向き合ってきたそうです。
話し合うこときっかけを作ることができるのは、女性かもしれないなあと、Loversのカードから感じます。
女性のリーダーが増えたら、世界から戦争がなくなるんじゃないかと。
そんな世界が来ることを真に願います。
そして男性性と女性性の関係性において、魂の成長をするのは女性性。
男性は、社会の中で成長するそうです。
タロットカード最後は世界のカード。
真ん中でダンスをしている人は、両性具有と言われていますが、どう見ても女性にしか見えない。
陰陽両極の世界を体験して「悟る」のは女性性。
女性性を持って生まれてきたことを、誇りに思ってほしいです。
なぜなら女性性は、
女性は深淵なる叡智と生まれながらにつながっているから。
陰陽五行でも
東洋思想陰陽五行でも、陰陽両極を相剋という関係で表しています。
木が男性性を表し、土が女性性を表し、「剋する」という不調和な関係性を表します。
その男性性を女性性を繋ぐのが、「火」熱量であり、「愛」
そして女性は男性性の「意図」を受け止め、浄化することで、「水」のありのままの自分に出逢います。
これこそが宇宙の原理原則なのかなあと感じます。
だからといって、男性の欲求を受け入れて我慢をするということでは絶対ないです。
ただ「違い」を知ることで、自分が何を選択するかは、女性側にあるということ。
選択する権利は、女性にあります。
そこを忘れて欲しくないです。
読んでくださり、ありがとうございました。