しあわせを探し回っていた1年
こんにちは、まさえです♪
しばらく頭の中ではなすばかりで手を動かすことがなかった2カ月のあいだに、立春がやってきました。
九星気学でいうところの、新しい1年のはじまり。
確定申告とにらめっこしながら、ふりかえってみた去年のこと。
よく頑張ったな、という月は数字にも表れていたり、だんだん疲れてきているな・・・って月は、なにもない。(笑)
いいとか、悪いとか、そんなジャッジはわたしが後からしたいならすればいいだけのことで。
ふと、思ったのは、しあわせを探していた1年だったな、ということ。
目標を達成すれば、しあわせ。
理想のお客様がいらしてくれたら、しあわせ。
やりたいことをできたら、しあわせ。
たくさんお金が入ってきたら、しあわせ。
理想の仲間と出会えたら、しあわせ。
ほしかったお洋服を着れたら、しあわせ。
ちょっぴりリッチなお店でごはんを食べられたら、しあわせ。
旦那さんにほしいものを買ってあげられたら、しあわせ。
叶ったら、もちろんしあわせ。
だけど、叶わなかったら・・・?
もっと頑張らなきゃ、もっと、もっと・・・。
もっと、と追い求めれば追い求めるほど、苦しくもがいていて。
がむしゃらに時間をかけて、モチベーションをあげていくほどに息切れしていく感覚。
マラソンを休憩することなく走り続けて、休みたい!と思う気持ちと、止まったら何がおこるか分からないぞ?という恐怖のあいだで、とにかくやればなんとかなる!!と、精神だけで突っ走った。
ゴールがあいまいなまま走るから、これがゴールだ!と高い目標をかかげて、頑張ることで自分を奮い立たせて、だけどうまくいかなかったらしんどさが勝る・・・・。
なにもかも捨てて、しあわせをつかむために、しあわせになるために、と思えば思うほど、身体は悲鳴をあげはじめる。
家族は違和感を感じはじめる。
結果、倒れた。(笑)
少しの衝撃でぐらつくのは、自分でじぶんのことをみていなかったからだなぁと分かる。
少しの衝撃でうろたえる自分がいる、と知っていたなら、いろんな対策やこころの備えができたかもしれない。
起きた出来事は、すべて自分の内側が、めのまえに現れただけ。
しあわせを探すものだと思っているから、探し回るのだ。
しあわせを、手に入れるものだと思うから、手に入れようと躍起になるのだ。
しあわせは、なにかが手に入ることで感じられるものだと思うから、手に入れようとするのだ。
なにもない空間に、なにをつみあげることができるか?
ないの上には、ないのだ。
だって、土台になにもないんだから。
頑丈な基礎のうえに、立派な家が建つ。
基礎がないものの上には、家は建たない。
みるべきは、わたしの足元。
わたしはどんな基準で世の中をみているか?
答えはシンプルなのかもしれない。
確定申告と向き合いながら、今年のわたしへ想いをはせる。
今すぐ、しあわせを感じられるなら、わたしにはどんなしあわせが在るのだろう?
あなたには、どんなしあわせに気づいていくんだろう?
築くんじゃなくて、気づくんだ。
探しまわるんじゃなく、見つけるんだ。
遠いところから持ってくるんじゃなく、そこに在るんだ。
今、キャンドルを眺めながらブログを書いているこの時間が、とても満たされていることに、わたしはようやく気づいた。