西のタヌキと東のタヌキ
癖付いたなぁ。noteに日記つけるの。でもこれも病気をしているからか、はたまた現状の結果を待っている為なのか…。どちらにせよ火曜日にはなんらかの症状が分かるだろう。昔は知らせがないのは良い返事だ、と教えられてきた。でも今は手元に電話がある。オイラがガキの頃では考えもつかなかった。一人一台が当たり前で、しかも世界の入り口まで着いてくる。自分の発言が世界で見ることができる。便利になったのか、機械に振り回されているのか。
そんな音楽の世界で生きているつもりの自分では、レコード、カセットテープ、CD、MDが当たり前の世界だった。今の電話のように携帯して、時代とともに、カセット、CD、MDを入れ替えて好きな音楽や落語を聴いていたもんだ。それが今じゃ、データで持ち歩くのが当たり前になって、音楽を聴くのも、自分の電話やら、タブレット。しかもいろんな場所からダウンロードして聴くことができる。PC業界は音楽の世界も変えたし、少しベクトルが違うが、LEDもしかり。青の発光ダイオードが自由に発行できるようになったら、LEDも当たり前になった。
この当たり前って何時頃から常習になるのだろうか?今でもたまに思い出す。貨物時代の頃、体調が悪く、それでも一人しかいないので、飛行機の到着まで腹ごしらえをしなければならい。しかし、手持ちもそうだが、いかんせん食欲がない。軽く饂飩でもと思い、いや、饂飩は重たいな、蕎麦にするか、と、たぬき蕎麦を頼んだ。自分の中では余計なものがなく、天かすが入った蕎麦が出てくるだろうと思っていたが…。出てきたのは油揚げの乗った蕎麦だった。
「これはタヌキとキツネの馬鹿仕合ですよ。饂飩が狐で、蕎麦が狸」
初めて聴いたわ。その日以来、職場も含めて、タヌキ蕎麦はなんぞや?と周りに聞き廻っていた。3対7で、油揚げが前者、7が天かすだった。西の地域でも違いがあるもんだと変な感心をおぼえた。さらに深堀りすれば、自分の使っている言葉。関西弁かと思いきや、生粋では無いらしいとのこと。ふむ、たしかに、「椅子にもたれる」という言葉は、「椅子にすかる」とか、しんどいときには「たいぎぃ」と使う。それ、山陰地方の言葉ですね。と後輩に言われば。確かに親は生粋の山陰地方出身者。子供が言葉を覚えるのに、親の言葉を覚えるのと全く同じだろう。気がつけば使っていた。
山陽の娘と付き合っている時期があったけど、こちらも言葉の隔たりが散見されたなぁ。別に大した事はないけど、それも含めて空気の違いを身にしみたものだ。
今日は一日寝て過ごした。というより、布団から出ることができなかった。気がついたら寝ていて、夢で寝なきゃ、明日の仕事に差し支える。本当に矛盾した夢だった。こちらは起きて、家事や掃除、Gtの音作りとかしたかったけど、動き出したのが、夕方だったからもうどうしようもない。Twitterもまる二日ひらいていないなぁ。
今は情報やGtの練習よりも、世間一般的な、常識が必要かもね。
今日は短いけどこのへんで。どうも体調が思わしくない。
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