”懐かしい”は楽しいけど、未来から逃げてることになってない??
こんにちは。濱田です。
僕たちがオトナ帝国を通じて提供したい体験は「思い出ゲーム飲み」です。
ただ、この体験が絶対に面白いと確信してる一方で、気になっていたことがありました。
それは「昔懐かしさに浸ることは現実からの逃避でしかないのではないか」ということです。
今回はこの企画を通じて、少し考えたことをお話させてください。
そもそも、なぜこの『懐かしい』にはポジティブなニュアンスが含まれているのか?
皆さんは不思議に思ったことありませんか?「懐かしい!」っていう時、どっちかというとHappyな気持ちになっていることが多いこと。特にこの企画に関する「懐かしい!」に関しては、みんなと共通して盛り上がりを共有できています。
諸説あると思いますが、以下2つが大きな理由なのかなと思っています。
①は言わずもがなですかね。意識の焦点を、不安な未来から「今」や「過去」に移してくれるものって、魅力的に映る気がしています。
そして、今回「懐かしい!」と言って思い出すのは、ゲームについての記憶です。
書籍『「ついやってしまう」体験のつくりかた――人を動かす「直感・驚き・物語」のしくみ』でもある通り、ゲームとは成功体験の連続です。
このような成功体験とリンクされ、思い出が想起されるため、今回のこの「懐かしい」にはポジティブなニュアンスがあるのだと思ってます。
昔懐かしさに浸ることは現実からの逃避でしかないのではないか?
しかし、こうして考えると、特に「①未来の不安から目を背け」という点から、自ずと次の疑問が生まれます。
きっと、これについて共感された方、少なからずいらっしゃると思います。僕も割とそう思ってしまったタイプです。
そんな僕ですが、これに対して、昔懐かしいゲームをすることは「幸福感をもたらす」以外にも「役に立つ」のではないか、という可能性の話を最後にさせてください。
「創造的休暇」と「螺旋的発展の法則」
僕ら3人、本業では新規事業を立ち上げるチームで働いてます。仕事柄、未来のことを考えて日々過ごしています。最先端の技術や、新しいサービスが大好きなので、仕事も楽しくやれてます。そんな僕らですら、上記の通り、深層心理には未来の不安から目を背けたいと考えてもいるんだと思います。
では、「これは悪いことなのか?」というと、そうでもないと思っています。
最近聞いた話で面白いものがありました。「昔、ニュートンがりんごが木から落ちるのを見てひらめいたのは、ペストの大流行で大学が閉鎖し、実家に避難してた期間だった。のちに、ニュートンはその時を「創造的休暇」と言っている」というものです。
これはコロナの文脈で話題となっておりましたが、「懐かしい」に触れ、余白ある時間を過ごす体験は、この「創造的休暇」と似たことだと思っています。つまり、今や未来から目を一時的に逸らすということも、新しいことを生み出すために、有意義になり得るのではないかということです。
また、私の尊敬する田坂広志さんは、「螺旋的発展の法則」を提唱されています。昔懐かしいものが、一段階進化して訪れるという法則です(詳しくは書籍やYouTubeをご覧ください)。これを考えると、実は「懐かしさ」に向き合うことが、そのまま「未来」と向き合ってることだったりもするかもしれません。
もしかしたら、64カービィやりながら、「あ!閃いた!」と言って、現実の何かが前向きに好転するかもしれません。
ぜひ一度、オトナ帝国で「思い出ゲーム飲み」、やってみて頂きたいです!
ゲームし放題の施設「オトナ帝国」の2拠点目となる浅草橋基地を作るにあたり、クラウドファンディングを実施しています!支援していただけると「懐かしさに浸れる秘密基地」をいち早く体験して頂けます。限定数のあるメニューもあるのでご興味ある方はお早めに!
※個人的には、この「エンタメとは、何のためにあるのか?」という記事が好きです。これで言うと「これから休みだ!」という解放感の謳歌とともに、楽しんでもらえる施設になったらいいなと思ってます。
(参考)著作権的に大丈夫?と思った方へ