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第24回 バルセロナ滞在記
ぼくの中で、スペインのバルセロナは特別な都市である。
行くたびに嫌な体験ばかりが重なるパリを除いては、世界中に素敵だと思える町はいくつもあって、訪れるたびにまた来たいと願うのだが、バルセロナは別格
大きな理由は、1992年に開催されたバルセロナオリンピック開会式の音楽に、日本から坂本龍一を起用したこと。その当時、すでに世界のサカモトだったかもしれないが、自国民ではなく日本人の音楽家に依頼していただいた恩義を、ぼくは一生覚えている。YMOの高橋幸宏によると、嫌々やっていたそうで、ギャラも1ドルだったと伝えられるが、後にインタビューで、自分の音楽は日本人よりラテン民族に好まれるような気がすると、坂本は語っている。
バルセロナへは、マドリードから鉄道で移動した。駅のホームにて車両を待つのではなく、ホームの外で並び、時間が来たらゲートが開いてホームに入るというシステム。駅側の人件費削減が目的なのだろうけど、かなり効率が悪い。しかも日本の新幹線より1.5倍ぐらい長く、予約した先頭の1号車にたどり着くまでに出発するのではないかと焦った。乗り心地、トイレの美しさや機能性含め、改めて日本の新幹線は優れていると気づく。運賃もさほど変わらない。日本と違って興味深いのは、一つのレールに鉄道会社が数社乗り入れていて価格を競っていること。新幹線の路線に阪急電車が走るというのは日本では考えられない。
なお、バルセロナでの食事は、鎌倉のスペイン料理店『アンチョア』のシェフ、酒井涼さんからいろいろと教えていただいた。ありがとうございました。
なぜかマドリードからぼくたちが乗車した列車だけが2時間近く遅れ、ランチタイムには滑り込めるはずが計画が狂った。車内には、サグラダ・ファミリアの予約に間に合わないと騒いでいる方々もいた。お気の毒なことだ。
それゆえ、昼夜通しで営業しているタパスバーを、バルセの初回は攻めることにして、オススメの『BAR CA?ETE』を目指す。観光名所ランブラス通りから脇に入った路地。人通りは少ないのに、店内のウェイティングバーで数人が飲んでいる。ということは待てば入れるかと思いきや甘かった。次の席は9時15分だという。相方に訊くとうなづくので予約して店を出る。後で確認したら、19時15分だと思ったそうで、夜は長いとお互い嘆いていたら意外とあっという間だった。まずは市場内の食堂で、待望のタコをつまみに白ワイン。なぜこんなに地中海のタコはおいしいのだろう。続いて夜のサグラダ・ファミリアへ。このとき観たライトアップのシーン、晴れた空、曇りの日の都合3回サグラダ・ファミリアを一周したが個人的には夜が一番、幻想的で観光客も少なく素晴らしかった。あのままタパスバーで飲んでいたら、おそらく夜は見逃しただろう。怪我の功名だ。
昼間の『BAR CA?ETE』は、店の周りもウェイティングバーの客もしょぼかった。ところが、9時に来ると一変。ウェイティングの空間はすし詰め状態。男女ともほとんどが175センチのぼくと同じぐらいの身長で無茶苦茶おしゃれ。160センチに満たないレセプショニストと楽しそうにハグしている。日本ではありえないクールな場面だ。こちらもテンションが最高潮となる。
レセプションを抜けると、しょぼいエントランス部分からは別空間。ながーいカウンターに煌びやかな男女が談笑している。予約したかいありで、長いカウンターのほぼ真ん中に座ると眼前には、白いステンカラーのスーツが二人。クールビューティと小柄でチャーミングな女性スタッフのどちらに声を掛けようか悩む。メニューは、眼前の氷の上にディスプレイされた生ガキなどのフレッシュな魚介から、ステーキにフォアグラを載せたいわゆるロッシーニ風まで様々。バルセロナ名物コロッケ「バルセロナボンバー」やアンコウのフライやマグロのマリネ(ほとんどハワイのポキ)など料理はクールにオーダーしたが、クールビューティは意外と動きがどんくさいとの妻の指摘で、その後のワインはもっばら小柄笑顔に。適度な緊張感、目に眩しいキラキラ感、様々な言語が飛び交う浮遊感。だから外国に来るんだ、来たいんだと、心底痛感した夜。深夜ホテルへの帰路。日本にこんなカッコいい店が登場するのは、いつになるのだろうと、遠く澄んだ星空を眺めながら考えた。