英語圏の日本GL映画に対する不当な言いがかりに対し日本人は徹底的に侮蔑の目で眺めよう
日本の女性同性愛映画、まずそんなに数がないんだが…
『「百合映画」完全ガイド』という、ガバガバ百合判定ラインをあえて提示している本で挙げられている映画を入れるのであれば日本でもそれなりに数がありますが、『「百合映画」完全ガイド』には『先生を流産させる会』や『貞子vs伽椰子』を百合映画として挙げているぐらいなのです。
それぐらい日本には女性同性愛の映画は製作されておりません。(『貞子vs伽椰子』を百合映画と呼ぶ人はそれなりにはいました。『先生を流産させる会』を『「百合映画」完全ガイド』が収録しているのは私の記憶違いだったらごめんなさい。後で直します。)
ですので、「女性同性愛をメインテーマにした日本映画」はステレオタイプが出来上がる以前の「無」の段階です。それはそれで問題ではあるのですが、女性同性愛の不幸のレストランを日本映画で楽しむ(?)のは少々厳しいのです。
見てみるから教えて欲しい、「レズビアンが死亡する日本の同性愛映画」
これは前々から気になっていたのですが、私は未だにレズビアンが死亡する日本の同性愛映画というのをよく知りません。先述の「百合映画」というカテゴリーのなかでの話なのかもしれませんが、「同性愛映画」という枠では未だによく知りません。
確かに、漫画の『ふたりぽっち』(池田理代子)あたりはめちゃくちゃ暗い話ですが、この時代の池田理代子作品が軒並み暗いので、レズビアンだからという感じでもありません。
というわけで、「レズビアンが死亡する日本の同性愛映画」に関しては、ゆるりと募集しております。『セーラー服 百合族』のような1980年代のポルノ映画だと教えられても多分見ないという不義理をかますと思うのですが、そもそも英語圏の言う「日本の映画はこんなのばっかり!」でミニシアター上映作品みたいなマイナー映画は入ってこないと思われるので、アクセス難易度の低いものでお願いします。
まあ、あそこまで主張しているなら本当に実在するのでしょうから、教えていただけましたら、とりあえず何かあった度に挙げていこうかなあと考えております。
「日本はアップデートしてない」の人たちは何故invisible『ラブ・マイ・ライフ』なのか
この映画版『ラブ・マイ・ライフ』がクソ映画という評価をつけられているのは確かにそうなのですが、同性愛を悲劇のスパイスに使っているというわけではないですし、物語開始時に主人公の母親が鬼籍入りしている以外で人が亡くなることもありません。ついでに不倫の話でもありません。その上、アクセス難易度がそこそこ低いという、ニッチ業界としては輝かんばかりの長所まであります。
日本作品を何が何でも下げたい人たちは、何故この作品の存在を開示請求した公文書の黒塗りかのように見えないものにしてしまうのでしょうか?
そもそも何故、映画版『ラブ・マイ・ライフ』は低評価なのでしょうか? それは映画『キャロル』の高評価を見ればわかります。単純に映画『ラブ・マイ・ライフ』は低予算クオリティの上に話題作りの素人起用で、同性愛以前に映画として極めて残念な出来だからです。
一方、映画『キャロル』は、レズビアン系に(悪い意味で)定番の不倫映画ですし、何より同性愛を悲劇のスパイスと認識しないと楽しむことができません。メインヒロインのキャロルは既婚子持ちで「これ以上お前の不純同性交友が治らないなら離婚する」と夫に最後通牒を叩きつけられたキャラクターであり、それでいてなお不倫をしっかりと楽しみ、その上で娘と引き剥がされたくないという、娘の視点から考えたら同情のしようのない人物像です。
それでも映画『キャロル』の評価が高いのは映像美として優れているからであり、その点では『ラブ・マイ・ライフ』と月とスッポンの違いがあります。
日本の映画が映像作品としてクソすぎるからもっと頑張れと言いたいのであれば一応わかりますが(それは日本人も思っていることでしょうから。)、作品スタイルに具体例を挙げないままケチを付けるのは、「俺は普段こんなにすごい作品を見ているのに日本はだらしない」という謎の優越感を持ちたいからであり、幼稚極まりない行為です。みっともないからやめてください。
そもそも何故そんなに性的描写はダメなのか。性的マジョリティはやりまくってるのに
件の人物は性的描写がどうだのとも訴えておりますが、映画と性は古くから深い関係になっており、それでも気に入らないのであればそこから指摘していただかなければ筋が通りません。
もし女性同性愛映画における性描写が問題であるのなら、そもそも男性同性愛映画だって性描写を抜き取るべきではないかという意見が、日本のようなBL文化の強い国で出るべきなのです。(BL文化のない国・地域にまで求めるのは違うだろうという話ですが。)しかし、日本でそういった意見が出るのは極稀です。(私は見たことないです。)何故、女性同性愛の時にだけそれがもっともらしく強調されるのでしょうか。
女性同性愛が異性愛者男性から一方的な搾取があるという理屈で言えば、男性同性愛者とBLの関係もまたそうなのです。例えば、BLで男性同性愛者の性的消費をしている異性愛者女性が同性婚支持活動に参加したところで、免罪になることはありません。「部分的にお前たちの役に立つから、好きなだけ搾取させろ」だなんて理屈が通用するわけがありません。搾取論的に考えれば、男性同性愛に性描写のない表現を求める以外には、どうしようもないのです。
――これまで多くの映画では性が肯定的に描かれてきた。女性同性愛でも素直に描いて欲しい。
これで一体何が悪いのでしょうか。これがダメなら、同性異性の組み合わせ問わずに実在人物のラブシーンやヌードのすべてに反対すべきなのです。何故、女性同性愛の時だけ、そういう方向の特別扱いに行ってしまうのでしょうか。
女性同性愛の扱いに関しては、女性に対して興味のない人たちが女性差別と絡めて声を大きくしがちです。しかしそれは、バランスを欠いた論理にすぎないことを忘れてはなりません。
結局、日本を見下したいだけ。英語圏はすぐそれだ
もちろん私だって完璧からは程遠く、知識もひどく不足しております。しかしそれにしても、Twitter/Xを見ていると英語圏の百合・GL議論は度が過ぎる程度にひどいものが多すぎます。
確かに日本は同性パートナーの保護等で法的整備は進んでおりませんし、ジェンダーギャップだってひどいものです。だからといって、あんな雑な知識で好き勝手言われる筋合いも決してありません。こういった一方的な投げかけに対し、日本人は徹底的に侮蔑的な視線を送るべきでしょう。
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