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「百合漫画は学生ばっかり!」←そもそも大人は漫画自体読まなかった
この記事タイトルの「大人は漫画を読まなかった」については明らかに言い過ぎであり事実に反するのですが、note記事にしても「題名はなるべく短くすべき」というのも感じてきましたので、あえて乱暴にまとめて表現しております。
こうした「百合」の観念上の自由さの一方で、では「百合」について私たちがイメージするものがどの程度多様なのかと自問してみると、どこか不安を覚える。
先述の『百合展』においては、制服を着た少女たちの写真やイラストがしばしばメインビジュアルに掲げられていることに象徴されるように、学校のイメージが目立っている。これは単に展覧会のコンセプトがそうであるというよりも、そもそも私たちが共有する「百合」が学校に関するイメージをその中心に位置付けているからではないかと思われる。このことはたとえば、「社会人百合」なるものが単に「百合」とは表現されず、わざわざ区別の符号として「社会人」を加えられていることからも察せられる。
「百合」の多様性についての不安が露呈するのは、明らかに「女同士の感情的結びつき」が見て取れるにもかかわらず、それを「百合」と呼ぶのをためらうようなイメージに出合ったときだ。そうしたイメージもまた人によって異なるのだろうが、独断を承知で挙げてみるなら、そこに描かれる人々が政治的に正しくなかったり、政治的な運動をいざなうものであったり、露骨な性的描写が含まれていたりするようなものなどだ。
つまり、何を「百合」とするかについて表向きには自由とされながらも、「百合」の中心と周縁を決定する暗黙のルールが存在していて、それがたとえば学校のイメージの頻繁な登場といったかたちで現れているのではないか。
より突っ込んで言うなら、「百合」の中心と周縁という構図は、イメージから安全な解釈を確保し、危険な部分については隔離するという、ある種の安全装置として機能しているのではないか。これはまず何よりもセクシュアリティの問題であるが、イメージと同じくらい多様な受け手のジェンダーは、イメージとの相互作用によって更にその複雑さを乗算的に増してしまうので、限られた紙幅で論じることは断念せざるを得ない。ただ、そうした多様性のうちに、様々な状況に応じて、たとえばセーラー服のイメージが「百合」のうちで特権的地位を占めるというような勾配が生じ、そうした勾配にセクシュアリティをめぐる何らかの葛藤が忍び込むというのは、ありそうな話である。中心的なイメージが存在すること自体を拒否する必要はさしあたりないだろうが、しかしそれがあくまで偶然の産物であり、自明視されるべきでないことは、折に触れて確認すべきだ。
こうした見地に立つとき、たとえば「百合」定義をより厳密化していったとしても、あまり意味はないだろう。それでは中心を再強化するか、せいぜいその位置をこっそりと植え替えるだけであって、多様であるはずの「百合」が制度化されているという点について切り込むことはできない。
ふぢのやまい・鶴田裕貴=連名
この序文の言いたいことは、要は「百合と言ったら女子学生ばかり! 多様性が否定されてる!」ということらしいです。こんな古臭いことを序文に持ってきて切り出すのですから、随分古い本なのかと思いましたが、よく見たら2020年に書かれた本で私は驚いております。
最近気がついたのですが、どうも2024年になっても英語圏では「百合は学生ばっかり!」とか唱えているみたいなので、『「百合映画」完全ガイド』序文の著者はその受け売りで「百合は学生ばっか理論」を掲げ、本書がものすごい百合マニアが書いてる本だとアピールしたかったのかもしれません。(実際どうなのかはわかりません。)
なお、『「百合映画」完全ガイド』のこの序文は各電子書籍販売サイトで全文無料で読むことができるので、気になる方はそちらで読んでおいてください。
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2008年1月1日初版
コミック百合姫で大人の女性同士のリアルな恋愛模様を描く、森島明子氏初の百合姫コミックス発売です! 働く女性と女性のどこかにありそうな恋愛模様や、年の差カップルならではの結びつきを描いた森島ワールド傑作選。今までにない百合の世界をご堪能下さい★
まあ、確かに百合漫画などが学生モノに集中したのは、この作品の扱われ方を見たらそうなのでしょうが、そもそも百合に限らず漫画の主流自体が10代をターゲットにした作品であるのを忘れてはなりません。
30年以上、「週刊少年ジャンプ」の購読を続けているAさん(41歳、男性)は「いい時代になった」と話します。
「(少年漫画は)面白いのに、子どもっぽいという理由だけで敬遠されてきたように思います。でも、最近は多くの人がその面白さに気付いて、世の中における漫画の地位も上がり、読者としてはうれしい限りです」(Aさん)
世の中の漫画への捉え方が変わったことで、Aさんの身の回りにも変化は起きたのでしょうか。
「『少年ジャンプ』を読んでいることを周囲に大っぴらにしているわけではないので、あまり大きな変化はありません。ですが、『鬼滅の刃』が話題になったあたりから、漫画やアニメにハマる人が周りにも増えて、そういう人たちと共有できる話題ができたのはよかったです。
取引先の社長(70代前半)と漫画の話で盛り上がって、かわいがってもらえるようになったこともありました」
2021/5/22
まず、マンガ文化という観点から、近年のマンガ界で起きている変化を教えてください。
山内康裕さん(以下、山内):大きな変化としては国内で二つ、国外で一つあります。まず、昔は荒唐無稽なものを「マンガっぽい」と言ったように、リアリティがないものをマンガ的とする時代がとても長かったんです。
けれど、2000年以降の邦画に元気がない時期に、『ピンポン』(2002)や『海猿 ウミザル』(2004)など、マンガ原作の邦画がヒットしたのを機に、マンガを実写化する流れが出来上がりました。
その際、実写化にあたって大人の視聴に耐えうるものにする必要があり、ある種のリアリティが求められるようになりました。つまり、マンガとしてのフィクションの良さは消さずに、その中でリアリティを表現するという要素が備わった。それによって、この20年ぐらいで、大人の読者を想定した、大人も楽しめるマンガが非常に増えたのです。
2023/6/4
検索してみたところ、2020年前後ぐらいから「漫画原作のテレビドラマが多すぎる」という不満がネットには繰り返し書き込まれているようで、そう言われるとメディア全般での漫画の地位は近年になって急速に高まっているように思います。
#雑誌の日
— 小栗かずまた (@kazumata_oguri) March 4, 2021
この間、今の週刊少年ジャンプの読者の平均年齢が28歳と知って衝撃を受けました。手元にあった昔のジャンプのアンケート表を見たら、テンテンくん連載開始号(24年前)は平均年齢14.7歳。28歳って結構な社会人…。
このまま漫画雑誌読者の年齢層って、どんどん上がっていくのかなぁ。
私のお粗末なネット検索能力では、大人の漫画読者の数がどの期間にどれぐらい増えたのかという調査にはたどり着けませんでしたが、少なくとも週刊少年ジャンプの読者平均年齢の上昇はひとつの参考になるでしょう。
漫画とテレビドラマの関係についての上記記事が2013年です。読んでみると、漫画は若い人向け、テレビドラマは成年向けといった感じに、昔は“住み分け”されていたとも言え、古い時代になればなるほど、大人が漫画を読むイメージは薄くなります。(レディコミとか昔からあると言えばあるんですけど。)
漫画を卒業した「大人」たちは、出演者基準でテレビドラマを選定・視聴し、見た感想も「(演じた役者の名前)が~」と、ドラマを見ていたのか芸能人様を見ていたのかよくわからないことを言うようになります。それがいいか悪いかは抜きにして、そういうものなのです。
…と、まあ、漫画を読む大人自体は存在したものの、時代が古くなればなるほど成年層ターゲットの漫画はマイナー傾向だったと考えられ、漫画作品そのものが学生に集中するのは商業的にやむを得なかったのではないかと私は考えます。
もちろん百合の表現方法としては漫画だけではなく、小説などの媒体もあるわけなのですが、『マリア様がみてる』という特に突出した作品を除くと、百合という文化が漫画とアニメに引っ張られていたのはどうしても否定しかねるところです。
そういったわけで、百合=学校に縛られているという切り取り方は過剰に近視眼的な見解であり、「恋愛を主題とする漫画自体が学園モノになりがちで、なおかつサブカル全体の中心になりがち」というのが正しい現状だったのではないでしょうか。今でも「学園パロ」は関係が同性異性問わず人気なことですし。
『「百合映画」完全ガイド』序文が問題視(?)している百合と学校との結びつきですが、漫画文化自体が学生の年代と強く近寄りがちなことに加えて、昔から少女漫画などが学校という空間を強くファンタジー化させ、憧れの社会として描いてきたこともあるので、漫画好きならそういった先人の積み重ねを否定してはならないでしょう。
また、学校はキャラクター同士を絡ませるのに非常に便利な舞台であります。それに加えて、制服の存在によって私服のデザインをサボり、ついでに描き手のファッションセンスの無さをごまかしやすいことも好まれる理由なのではないかと思います。(ありがとう、学校制服。)
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ちなみに、中国の漫画市場ではけっこうな数の百合漫画がリリースされていますが、学校・学生の百合漫画は割と少ないです。
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哔哩哔哩漫画 掲載
001 她的真心话大冒险
もちろんあると言えばちゃんとあるのですが、主要キャラクター全員既に社会に出ている設定の百合漫画のほうがメジャーであるように感じます。
それどころか、アプリ内の作品全体を見渡しても、学校・学生の漫画自体は控えめです。皆無というわけではありませんが、そこまで多くは感じません。
代わりに多いのが中国国内の時代劇です。
日本語に翻訳されピッコマで連載されている『負けヒロイン救済計画』は、ヒロイン救済のために様々な定番フィクション世界へ訪れるという漫画作品ですが、これまた国内時代劇が多く、一方で学校舞台の世界がとても少なくなっています。(しかも、珍しく学園に行ったと思ったら、妙に日本がモデルっぽい世界だし。)
どうも中国では、日本で言うところの大河ドラマが活況らしく、日本人の間でも多くのファンがいるとかいないとか。故に、中国の漫画業界もその影響を受けているのではないかと思います。
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快看漫画 掲載 第3话 第一场戏
そういえば、『顾小姐和曲小姐』も物語序盤で時代劇を演じる流れでした。語学力の壁で、なんで曲が男装で男役を演じてるのかはよくわかりませんでしたが。確か、曲が人気あるから強引にねじ込んだという設定だったかな…。わからんけど…。
余談。成年向けに描かれた古い漫画で大人百合の個人的お気に入りは、推定1970年代前半発表の『黒衣の女』です。「この程度で百合漫画と呼べないのでは?」というツッコミが来そうなレベルですが、『「百合映画」完全ガイド』の百合基準で言えば、完全に百合です。
『「百合映画」完全ガイド』のレビュー記事は上記ブログに書いています。