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言葉を尽くす日々

消えゆく言葉をまとめた本について語りながら帰った。
秘密の合言葉のような、
そういったノスタルジーなものを愛おしく思える感性が嬉しくて。
立ち寄った書店で目を輝かせながら、
静かな店内の一角で少年のようにケラケラ笑う横顔が実年齢より一層幼く見えた。

言葉を尽くす日々です。

大切な時に大切なことが言えなかったらいつ後悔すればいいのか。
そんなことを考えるタイミングが巡ってきて、
衝動的に近いキッカケだったけど今を満足できているから、
やっぱり口に出して、言葉にして、
伝えたいことは伝えるもんだと思います。
だからやっぱり言葉を尽くす日々です。

「はぐらかすところがムカつく」
と面と向かって初めて言われたり、
「私より喋る人、なかなかいないよ」
と言わされる羽目になったり。

なあなあにすることは簡単でも、
はぐらかさず伝えることは思ったより勇気がいることも、
潜った修羅場の数が違うと説得力の重みがなんと違うことか。
笑う数と同じくらい怒られながら、
今の私に相応のときめきと安心感をもらいながら忙しかった7月も終わろうとしている。

プレゼントをあげたり、
特別な日をお祝いしたりすることも「愛」なのだとしたら、
何気ない会話をちゃんと覚えていてくれることや、
私の大事にしていることに寄り添おうとしてくれることも、
ずっとずっと柔らかい「愛」だと思う。
気が付きにくいところにある愛おしさだと厄介なことに見落としたまま、
下手をすれば一生気がつけないまま置き去りにしているのかもと。
だから言葉を尽くす日々を選んだ。

めんどくさ〜い、と投げ出さずにはいる。
言葉を尽くした結果得られるのは相手を知ることというのは勿論だけど、
知った気でいることが無くなるからなんじゃないかな。
自分自身も日々アップデートしていくのに、
相手だってそうだという事が頭では分かっていてもなかなか難しい。
一度レッテルを貼るとそのレッテルが次第に記号のようになっていく感覚がある。
すごく楽なんだけど、
「あれ?これってすごく雑に扱ってない?」
と思うようになった。
だから言葉を尽くす日々を選んだ。

無言のような、言葉の無い間、
決定権を相手に委ねているようで答えはずっとそこにあるのに。
「言わない」
と言うことも相手へのアンサーなんだと思う。
言わない、
「無言」でいるこのアンサーを受けて、
余白から見当違いのパズルを完成させようとするから永遠にピースはハマらないし完成することなんて、言葉を尽くしていたってそもそもあり得無いと思う。

察してもらうことが必要な時があることは知っている。
でもそもそも「察してあげることが最大の愛」
というのが見当違いだった。
ぶつかることもあれば、折れることもある。
喧嘩でもいいし相談でもいいし
なんだっていいけど「察する」技術ばっかり身につけようとする結果、
自分の気持ちを察してあげられなくなるもんだと思う。

私たちは友達のようで、
兄妹のようで、
それでいて恋人なのだから。
色んな話をしたらいいと思う。
ライフステージを気にせず、
とりあえずは相手を大事にする前に、
自分が足りている人になるために模索しあえばいいと思う。
関わる人が今の自分を現すと言うのなら彼にはしばらく鏡のような存在として側にいてほしいと思った。

思考はいつか言葉にもなるし、思想にもなる。
ふとした時に出てくる言葉でなんとなくその人の生き様を勘繰ってしまうことはあるけど、
あの本屋での無邪気な彼の様子と、
「秘密の合言葉を使って会話を楽しもうとする」この小粋なところが詩的で、
この人を好きになって良かったと手放しで思えた自分の成長を記録に残したくなった。ただそれだけ。

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