さみだれ備忘録(時々プラシーボ)
久しぶりに始まったアニメを見始めた。
「響け!ユーフォニアム」
吹奏楽をテーマにした高校生が主人公の話。
私が中学生の頃に放送していたものが9年の時を経て、この春からまた新しいシーズンが始まった。
初回放送、冒頭で流れた曲は「ディスコ・キッド」だった。かつての吹奏楽コンクールの課題曲で、14歳の私が夢中になって聞いていた曲の一つだった。
なんだろう、かつて打ち込んでいたものを再び思い起こされるとむず痒くなってしまって、その日はアニメを最後まで見ることができなかった。
そんなに上手じゃなかったけど吹奏楽って、音楽ってやっぱりいいなと思ったここ最近。
だったらどうしてこんなむず痒くなるのか。
言語化できたら楽なのに、と思いながら。
これがイマイチ解決しないままこの週末を迎えてしまった。
言語化することで自分の考えを整える癖がある。
この癖自体も14歳とかそこらで始まったような気がしている。
人の性格や癖は15歳までで決まるって何かで聞いたことがあるなと思い直して、もう10年も前から私はこうして文章に起こしながら、自分のことを客観視できないと気が狂いそうなことが決まってしまっていたのかと思ったらなんだか愉快な気分だ。
友人と中華街に遊びに行った。
胡麻団子や肉まんを食べ、お腹が満たされると中華街特有の露店を見て回り、最終的に占いに行き着いた。
持論だが、占いってプラシーボ効果を効率的に引き起こすことができるマジックツールだと思って時々楽しんでいる。
それこそ「しいたけ占い」はポジティブになれるから大好きだし、時々出会う「見える人」からの助言は前のめりに聞いてしまう節がある。
天文学や確率、偶然性や審美眼など。複雑に発している人間の様相を読み取ってアドバイスすること。それを占いだと思っているし、直感や自己決定の責任を取るために腹を括りやすくなったりするのも占いだったり。
要は、キッカケとして一番揉めないやり方の一つだとも思う。
正月に引くクジだったりそういうのも含めて。
じゃあなんでプラシーボ?と思うけど、これは受け取り方の問題だと思っている。いいことなら信じたいのが人間だし、どうせならいいことは現実に起きてほしい。
かの有名なマザーテレサが「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。 言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。 行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。 習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。」と言っていたように、占いによって深層心理の自分ですら気がつけない可能性を知らせてもらえるのなら、いくらでも思考にも言葉にも行動にも組み込むことができる。
これが巡り巡って、自分の経験を占いの結果や望んだ形に近づけられるんじゃないかという持論だ。
(良いようにプラシーボを活用したいだけ)
ポジティブであればあるほど私も周りの人たちも元気だ。
これは前に「あなたには引っ張る力があるから前向きな時は周りにもそう作用する」と言われたことがあったから、そうあれるように、根アカな自分を維持できるように言葉を選び続けているし、気がついたら私が好きな人たちが私を、私の言葉を、好きでいてくれるようになった。と信じている。
信じたいものを自由に信じられるのは、かなり幸せなことだと思う。
「いつかきっと」が思えばずっとある。
こういう大人になるんだろうなと思っていた14歳の私へ。という簡易的な逆タイムカプセルというか、答え合わせにすぎないけど。
思ったより私は14歳から変わっていない気がしているし、自分の大事だと思っていることは何一つ変わっていない。思春期のあの頃苦しかったな、と思っていたことが実は今の私を支えていることも多いし。
周りの大人が言う、「最近人生の答え合わせをしているような気がする」の言葉をちょっとずつ回収しつつあるなと思えている。
だったら尚更使えるもんは全部使ってハッピーに逞しくやってやろうじゃんマインドの私はかなり強気だ。
p.s.
見出し画像のはなし。中華街でみつけたグラフィティの龍がかっこよかったのと、私の干支は龍で今年は「昇り龍の年」とかなんとか言われていて個人的にいい予感のある年だからおすそ分けグラフィティ。
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