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女が社会を作れたら。

 思うように社会への女性進出が進んでいないらしい。目標値の半分にも満たない現実に、またくり返してる、と呆れてしまうことしきり。あとになってとってつけたような施策は、育ったあとの梅の木に願をかけても桜の花が咲かないのと同じで、考え違いをした末に哀れな結末を迎えておしまいの同じ轍。
 男が構築した男社会に女を送り込むのって、男湯に女を案内するのとどう違うっていうのさ。畑に苗を植えて育てと葉っぱかけたって、そりゃ酷ってものでしょう。畑が変われば、育つものも育たない。
 野球の例があるじゃない、とおっしゃるあなた。言いたいことがあるなら言ってごらんなさい。
 なるほど、野球誕生国を打ち負かすようなことは確かに起こる。だからいちがいに他人のフィールドで勝負ができないわけじゃないことはわかる。つい先だっても日本が勝ったばかりだしね。あの時は、期待に応えた結果とも言えるし、希望が実現してしまった意外な結果とも取れる。その勝利に国内外が湧いたよね。歓喜した人もいれば、落胆する人もいた。総じて言えることは、結果の意外性に反応したわけだ。信じられない結果に「ひよっ」と素っ頓狂な声をあげて驚いてしまったわけだ。悲喜交々があったわけだ。そしてここのところが重要なんであるが、ありえないことが起こってミラクルとなったという現実。つまりは、滅多に起こることではないことが起こったから、斬新で衝撃的だったのだ。
 男が築き上げた男社会には、男だから理解できる機微ややり方や罠がある。そこに女性を送り込んでも、銀座のホステス接待は通用しないし、利権と金で動いていたやり口をそのまま当てはめても、それまでと同じ効果は得られない。滅多なことでは逆転劇は起こらない。野球で日本が勝利を収めるのも容易ではなかったけれども、それ以上に男フィールドで女性が勝利するのは難しい。
  
 李琴峰著『彼岸花の咲く島』は、女が築いた女社会に男女が暮らす、現代の男社会のアンチ・テーゼで展開させた小説だった。男が築いた男社会をいったんリセットして、女が民を治め、女が大事なところの判断を担っていく体制が確立している。その社会では、大人に育った女は社会に進出していくようになる。男は勝手が違うことから進出したくても抵抗力が働き阻まれるし、でしゃばりたくても出番さえ用意してもらえない。
 この作品は、さて、創作物として読んで楽しめればそれでおしまい、でいいのだろうか。娯楽としてとらえると、ふくよかな身の美味しいところの一部分だけをつまんで終わるのと似ている。旨い魚は頭も美味ければ、骨までしゃぶることで豊穣の味覚を堪能できるというのに。

 読む本を斜に構えて文を追っていくと、新たな局面が見えてくる。
「次元の異なる子育て支援」などという表現のレトリックで誤魔化すのではなく、このあたりで男女の次元を入れ替えて、本腰入れてやってみてはいかがかなと思う。まさしくリセットによる一からのやり直し。子育て筆頭に女性主役の社会はやる気のある女たちに任せることで、きっと異次元の結果が出せますぞ。
 戦争や紛争だって激減するだろうし、ヒジャブを正しくつけていなくても、ヨーグルトをぶちかまされることもない。

【女性に進出させようとするからギクシャクするんだ。任せてもらえれば、うまくやれる。】

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