水が上がる。
坂道の途中で止まった水は、赤沼(北海道函館市郊外の伝説を持つ湖沼のひとつ。ロコでも知らない人が多い穴場中の穴場)の湧水みたいに澄みわたり、穏やかに揺れていた。これまで居座り、嫌がらせをするみたいに進む陽の光を空中で遮っていた雨粒含みの暗雲は、吐き出す息さながら降らす雨も底が尽き、今では切れ間からわずかにのぞかせた紺碧がその勢力を今にも広げようとしていた。
紺碧は、希望だった。その希望が発光粒子をかいくぐらせて地上に落とし、水際で踊る小波から飛ぶ幼きシブキの数々に、そろりするりと入り込ませた。飛沫ひと滴ずつは、切ない儚世の縮図。消えるために生まれてくるものなれど、消えゆく命の中で持てる力量以上に輝いてみせた。
今ごろは海も水を上げているのだろうか。
ふと社会的視点が、余計な節介域に歩を踏み入れた。
自然界に人的な同調圧力など働くわけもないのに、学んできた経験値が状況把握にひた走る。すべては人類が築いてきた思考ベクトルの延長線上にある導きだった。培ってきた常識では、坂の途中で水が留まっているということは、海の水も同じ水位にあらねばならない。だが、常識では推し量れない物事なんて、息する世界にはごまんとある。水が繋がっているのなら、目にする坂の上の水に海の潮らしさが紛れ込んでいなくてはならない。だけど、潮カラサは少しも感じない。繋がっているのなら、常識で考えて、何割かは海でなければならなかった。
なのに坂の上に上がってきた水ときたら。ちゃぷとおどける飛沫は、赤沼の湧水そのものでしかなかった。
街は半分以上が沈んでいた。
幸い低地の住人たちは、事前に退避していたので無事だった。命あっての物種。生きてさえいれば、再生はそう難しいことではない。復興のための資金は、自治体がなんとかしてくれると決まっていた。共済精神で支え合うこの自治区では、コトが起これば貯め込んだプール金で支援がなされる。不足すれば、今後、復興支援税として新名目の課税がなされるだけのこと。
幸いにしてこれまで赤字決算をしたことはなく、今のところ財政は黒字で潤沢にまわってきた。これしきの厄災で無くなるほどプール金はやわではなかった。
仮に資金不足に陥って借入をし、今後の税金が上がっても、文句を言うものは一人とていない。この自治区に移り住んできた者たちは、救済の網からこぼれた苦い経験の持ち主であり、救われないことの悲惨と悲痛を、傷に塩を塗り込まれるほど痛烈に味ってきた。
本物の痛みを知る人は、心を痛めた者の心に塩は塗らない。優しくする。
そしてまたここには、ひと握りの慈善事業家が加わっている。超低金利で支援金を貸し出す富裕層で、エンジェルの立場を条件に居住が許された者たちだ。だから、キャピタリズム一色のビジネス魂は、一魂たりとも入っていない。
水は坂道の途中から引く気配を見せなかった。翌日になっても水際は同じところに居座り続け、夜霧との邂逅を経てもなお、ちゃぷと波の打ち際を濡らしていた。
水が上がってきたあたりを境に、下方の居住者は坂道のさらに上方に建つ『丘の広場』に簡易コテージを建て、コミュニティの縁を深めながら水の引くのを待った。悲壮感はなく、かえって楽しんでいる節もある。煮炊きは美味そうで、寝泊まりも快適に見えた。
そのあたりのレポートは、後日、追ってまた。