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あちらさんは渚のシンドバッドか?
ピンクレディーは「ここかと思えばまたまたあちら」と歌ったけれど、移り気なのは浮気な人ばかりではないようで。『終活』で「いよいよか」と腹を括ったと思ったら、『100年時代』で「これからか」と。改心せにゃならぬのか? 首をひねるまで時間はかからなかった。
早業で唇を奪われるのは乙女ばかりではないのかなあ、なんてのほほんと考えていたら、イメージが具体化しすぎて、背筋を寒くした。
死ねば死ぬで準備にお金はかかるし、生き延びれば生き延びるで日々お金がかかる。「死ぬなら」から「死なぬなら」への移り身の早さの演出、その根っこを辿れば「売ってなんぼ」の資本主義。どこをどのように捻れば財布の紐を緩ませられるか、あちらさんは日々、頭を捻ってる。
抗うつもりなど微塵もないのだけれど、執拗に「押しても駄目なら引いてみな」と水前寺清子ばりの力技で迫ってくるものだから、ここのところ食傷気味になっている。どれだけ詰め寄られても、こちとら3歩進んだら2歩下がる謙虚で清貧を絵に描いたような暮らしをしている模範的下々の One of them。節操なく頻繁に、乗り換え、買い替え、考え変えはできません。
あちらさんにしてみれば、こちらはなかなか手強い頑固者なんだろうなあ、と考えたら、今度は妙に腹が立ってきた。勝手に人を歩く財布と見立てるんじゃねぇ、ってね。試行錯誤を積み上げて、やっとこの頃ここぞという境地に落ち着いたっていうのに、表面だけをさらっと撫でてわかったような顔をして、「おまえは、こうだ!」と決めつけるようなやり方で迫ってくる。
やかましいわ。人はそんなに単純にできてはいないものなのだよ。浅い知恵の独断で思いどおりに操ろうなんざ、1万年早いわ!
そういや、年老いた人は総じて反応が鈍くなることをふと思い出した。老人の鈍化は、加齢による劣化だと思って疑いもしなかった。だけど、もしかしたら、と閃いた。もしかしたら、紆余曲折してきた山積みの経験が、問いかけに対し「ひと言では現しきれん」と膨大な可能性を無限大の風呂敷に広げてフリーズするのかもしれないな、と。解答は山ほど用意できるのに、いっぺんに出てこないからほぞを噛む。そんなふうに考えることもできなくはないな、と。脳細胞はコンピュータの如き迅速な回転をしていたとしても、情報量が多すぎて、口頭という狭い出口を通過しきれず、解答が押し合いへし合いして詰まってしまったーーそんな可能性を考えてみたわけよ。投影としてね。
ひとつ言えることは、老人はたとえたくさん考えることはできても、手や足に倣い口の筋肉もくたびれているだろうから、物理的アウトプットはままならないだろうけど。
というわけで、上手い話には乗らないのはもちろんのこと、仕掛けられた口車には乗せられない。頑固でけっこう。それで諦めてくれるなら、そのほうが気分が楽。話が長引くと面倒だから、余計なことは言わない。首も突っ込まない。
昨日朝の朝刊で、雑誌が今月号の特集記事を宣伝していた。『100年時代の』とサブタイトルがついた特集のベッドラインを読んで感じたこと。広告は人の弱みにつけ込むように読者予備軍の心情を煽るように仕掛けていたけれど、そんな煽り記事で、雑誌は買ってあげないんだもんね。微々たるものでも貴重な金、すでに確立している自分な好きなことに使います。
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