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5月某日朝5時00分。まだ陽がその顔を出さぬ白みはじめた空の下、スズメが目覚めた。雲が厚いせいか、東の空は焼けていない。世の中が起動するには少しばかり早い時間帯に、スズメはひと足早く闇の布団を蹴飛ばして、暗がりの眠りから瞼の窓を開け放ち、白ずんだ空にどんぐりまなこを向けたのだ。
意識は霧が引いていくように覚醒した。だが、体の機能がそれに追いつかない。足を踏み出そうにも、意識の一歩は現実の半歩。このまま歩を進めたら、足がもつれて転んじゃう。思惑どおりにいかない現実に、あるいは幼子の手を無償の愛で引くように、意識は体がついてくるまで腰を据えて待つことにした。
チュッ、チッ、チュッ、チッ。意識が先行する朝の声も、赤子のよちよち歩きのように緩慢だった。喉の調子も意識に追いつかなければならない。第一声の音階は、ミ、ソ、ミ、ソ。規則正しく、一音一音が明確に伝わるように、そしてまた音階の波長に狂いがないかどうかを確かめながら、声を発していく。チュッ、チッ、チュッ、チッ。
しばらくすると、意識に声の調子が追いつこうと加速した。緩慢だった調子に緩急がつく。チュチュ、チ、チュチュ、チ。音階はミミソ、ミミソ。それでもまだ本調子とはいえない。
あと少し。
喉の暖気運転が終わるころ、社会がようやく目を覚ます。目を覚ました社会がとらえるスズメは、あの目まぐるしくも忙しく啼くいつもの慣れ親しんだスズメだ。本格的に覚醒するまで数時間。慣れ親しんだスズメは、チュチュチュチュ、チチ。チュチと啼く。
だが現実は目覚めてからそれほど時間が経過したわけではなく、時計の針はまだ5時34分をさしている。目まぐるしくも忙しいスズメに変貌するのは、もうしばらくあとのこと。
5時半あたりは、階下の住人たちが目覚ましに頼るわけでもなく起き出す時間だ。案の定、フローリングを踏む音が扉や壁のヴェールに吸われながらも、ぐもった音が幾多の障壁すり抜けて伝わってくる。ガサゴソ。くぐもったビニール袋をまとめる音が続く。ゴミの日は明後日だったか。それでも生ゴミの処理を怠ると、何かと都合が悪い。毎朝欠かさぬルーティンは身を助けるではないが、不快を避ける暮らしの知恵。
ただし。
繰り返しが過ぎると、時に間違う。ルーティンは、物事を効率的に運ぶ流れを作るけど、無駄を省いた行動が習慣化すると、条件反射が結果としてとんでもないことをしでかすことがある。ほら、覚えがあるでしょう? 年末年始特別ゴミ収集日のお知らせをうっかり見落とし、月曜日の朝というだけで1軒だけ燃えるゴミを出しちゃうようなことが。
物事は、状況に応じてフレキシブルに執行されなければならない。判断は見誤らないことだ。誰もがわかっていること。ご飯はよそう前に炊いておかなければならないのと同じこと。
5時59分。スズメの声のチューニングがやんだ。声調タイムに区切りをつけ、次には洗面タイムを迎えたのか。お父さんスズメがネクタイを締めるところを想像したら、今日もまた満更でもないなという気分になった。
道は続いている。routeがroutineを生んだように、日々進化やら退化やらを繰り返しながら、その姿形を多かれ少なかれ変化させながら。
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