赤ダタミ、黄ダタミ、青ダタミ。
朝の千駄ヶ谷駅前は秋も季節の纏いを落としつつ、黄を深くしたイチョウが、味気のないアスファルトを濁色の焦茶や腐敗の黒に名残惜しさを広げています。ぐずつく空は精彩に欠き、脆く、雨を貯める空の雨留め膜がときおり破れて、修繕斑の到着が遅れると不慮の漏水がたまに大地を濡らします。それはまるで時間軸の遠方で起こった、今となっては現実なのか幻なのか境のつかなくなった思い出の去来に、届かなくなった手を無益に伸ばし、無力にうなだれ、放心の広がりとともに流れる涙と似ています。
時間が等間隔にゆるり淡々と流れています。そのリズムを少し間伸びさせたくらいの歩調で、斜め15度ほどに見上げる東京体育館に向かいました。
3年ぶりの東京グランドスラム。週末には世界各国から強者男女が磨いてきた腕を競い合う熾烈な熱戦を繰り広げます。
選手のいない会場の真ん中に立ちました。試合畳はイチョウの黄色でした。場外はモミジの赤でした。なんともド派手な色使い。秋の紅葉と試合の高揚をかけたとすれば、なんと次元の低い語呂合わせでしょう。
青畳を知る身としては、世界JUDOの畳は厚めのマットのようにふかふかでした。
通りすがりの透明人間に尋ねると、嘘か本当か「世界JUDOの畳にはバネが入っているんですよ」と透き通った声で答えてくれました。
晴れ渡った秋空の遠い今日この頃ですが、間もなくはじまる試合で選手たちがあげる気合の数々が、試合会場に響き渡っていくようでした。その声は未来に遠ざかり、ふかふかマットと比べると安普請のアパートに見合うせんべい布団のような青畳が、切なく懐かしくなりました。