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大陸のほうで、偽物ブランド商品を生放送でTVショッピングしていた悪漢が逮捕された。商品は本物の20分の1程度の価格で販売されていたという。ふと思ったのは、価格差ではない。20分の1の価格までダンピングしても、利益が出るということだった。ということは、本物の利益はどれだけ巨額なのだ?
人は夢を買う生き物だ。仮に真偽それぞれが同品質だとしたら、夢の分が倍づけならぬ20倍づけということになる。
20倍だ。それは、ブランドに付けられた夢代。
金余りなら無駄金放出、慈善経済効果の功労者にもなりうるだろうが、どこぞの政党の在りし日のスローガンではないけれど「その前に使うことがあるだろう」と余計なおせっかいのひとつやふたつ焼きたくもなってくる。
ま、こんな小言の根っこにあるのは、ないものねだりの嫉みの極み。貧者の戯言であることはわかっている。
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ブランドが人に見せる夢。そこにつけられる商品価格は20倍。
夢の商品はこのようにして聳え立つ巨塔の先に鎮座して、手の届かぬ雲の上。
かつて中国はGUCCIやKENZOなどアパレル関連ばかりでなく、BOSEやROLEX、果てはディズニーランドのコピーまでもが横行していたパクリ天国だった。それが逮捕劇を生放送するまでに規制強化が図られている。
大陸に暮らす人も当然ながら夢を描く。こちらの国と違うのは、20倍の商品に着目するのではなく、20分の1で商売を、という立ち位置。商魂の逞しさが度をすぎて、夢に手をかけ、足をかけ。
夢は、巨塔の先の雲の上。ふと、雲上に足をかける商魂逞しき商売人の図が浮かんだ。実体のない雲に足場はない。商売人は足を踏み外し、奈落へ落ちていく。
ニュースで放映さた偽ブランド商品売り、逃げきりゃ天国のはずだった。なのに捕まり、地獄へ真っ逆さま。今ごろ監獄で、壁に手をつき「反省」でもしているだろうか。それとも、安部譲二さんのあの本のタイトルではないけれど『塀の中の懲りない面々』のおひとりで、出所後を見据え、その逞しい商魂で再び美味しいビジネスに手を染めるつもりなのか。それが彼らの夢?
彼らに夢は?と尋ねたら。「プライスデス」と答えてくれる、、、わけないか。