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音符が食い物に。

楽器演奏をするための楽譜に著作権使用料を科しているのに、今度は楽器を演奏するためのレッスンでも著作権料を徴収しようとしている○○○○○○ってなに? 

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黙って聞いてりゃおけつの毛までむしられそうな貪欲に息を飲む。息の根をとめようとしているようにしか思えない。いや、生かさず殺さずか。殺してしまっては、元も子もない。取れるものも取れなくなる。

そもそも楽譜の著作権使用料って、どのように決められたのか、立ち返って考える必要がありそうだ。
楽譜は演奏するためのもの、だよね? そこに練習はつきものだし、独学もあれば教わることだってある。そんなこと、最初からわかっていたはずだ。わかっていて著作権使用料を設定したのじゃないの?

なのに○○○○○○ときたら。

これを書籍に置き換えると、消費税払って購入した本を、読み始めたら別途読書税がかかります、と言われていることになる。
いや、音楽教室にはレッスンという媒介があるじゃないか、と反論するなかれ。屁理屈の達人にかかれば、「義務教育を通して本が読めるようになったわけでしょ。廉価で教えてもらってきたわけだから、稼げるようになった今、還元しなさいよ」くらいのことは平気で言うに決まってる。


そもそも豊かなはずのニッポンなのに生活のしづらさを感じてしまうのは、徴収システムがすぎるからなんじゃなかろうか。
外国の楽曲使用(楽曲以外にも著作権全般)には敗戦国加算(戦時加算)でよぶんにお金ががかかるようになっているし、やれ支援だ救助だとなると「お金のある国が払いなさいね」と半ば強いられて支払ってしまう。
つけがどこにまわるのかといえば、わたしたちに、だ。

お国は「支払わなきゃならないことになってんのなら、最初にお金をプールする仕組みにしておきましょう」ということで、著作権料徴収システムみたいに二重三重に徴収関所が設けられ、事前徴収が板についた。

たまったものじゃない。これが、我が暮らしがいつまでたっても楽にならない根源的原因だ。

トリクルダウンは雀の涙。目に涙、懐事情は四季を通じてすきま風。

著作権使用料の話に戻るけど、今は先生のみに科せられ、生徒は免除というところで話は宙に浮いている。ご存知のように音楽教室側との法廷闘争はまだ決着をみていない。

仮に教室側のみから徴収することになっても、先生サイドの増えた支出は補われることになるだろう。つまり、生徒さんも痛みわけね、となるはずだ。

盲点がないわけではない。
クラシックや唱歌など、著作権が切れた楽曲でレッスンを行うこと。著作権がないのだから、著作権使用料を徴収されるいわれがなくなる。
たまたま生徒さんが最近流行りの曲を弾いたら、指導ではなく感想を述べるにとどめる。ことにする。
今はまだ個人が楽しむ演奏に魔の手は伸びていないし、感想の自由は未来永劫守られてしかるべきだ。

これってこじつけ?
でも、屁理屈の論法を振りかざすやり方からすれば可愛いものだと思うけど。


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