入信と信用。
信者になってしばらくした頃ころ、大物政治家が小さな集まりに駆けつけてくることになった。集まりは公共の寄合所で行われる、毎月の恒例行事だ。この日のために群馬の山中からやってきた教祖が自ら説いた経典を手に、抜粋を読み上げる。いつもの集まりだった。
正直言えば、購入した経典は理解するのに難しく、大金分の価値があるのかないのかわからず、解説なしではなんのことやらさっぱりわからない。もうひとつ正直なところを言えば、説法を聞いたところで、日々の暮らしが格段に向上するものではないのだが、教祖に言わせれば「高みから水が流れるのを受け止めるのと似て」、やって来るものを拒まず受け入れていればそれでいいのだという。岩に声が染み入るのにはそれ相応の時間がかかる。言い聞かせながら染み渡らせ、満身に声の含む真理が行き渡るのを待たなければならない。それが教祖が説く、最初に通る関門なのだと言う。
染み入るまで待つ。それが大事なのだ。噛み砕くとはじけ散りそうな教えであるが、受け入れなければ先に進めないというのだから、素直に聞くしかない。
それに、テレビでよく知るあの政治家がやってくるということは、信頼に足る組織であることの証なのだ。政治家が小さな集まりをも揺るがせにせず足を運ぶのは、それなりの価値を認めているということだろう。人に自慢できるようなイベントにほくそ笑み、皮算用の算盤をはじかせた。誰に対してどんなふうに自慢するかの算段をとる。
世によくある霊感商法ではない。経典を作るのにも金がかかる。それを信者が互助の精神で支えているだけなのだ。
世の中には献金の使用使途を疑問視する者もいるけれど、助け合いの精神のどこがいけないって言うんだい? 教えに従うことで、話を聞いてもらうだけで、心がふっと軽くなるようになるんだもの。教祖の書いた経典代、50万円、決して高いとは思わないんですけど。
50万円が出せない人もいたよ。何人も。今でもたまにいる。50万円は誰もが容易に調達できる額じゃないから、出せない人がいたら、そこにも互助が働く。「徳を得る」行動として、施す者の挙手を乞う。つまり、徳を引き換えに献金を肩代わりするわけね。お金を持っている人が持っていない人に施すというわけ。
施しを受けた人は修行しに、他所のエリアへ移動になるんだよ。ほかに移れば、施しを受けたことがわからない。施されたことによる精神負担の解放と呼ばれてる。
そういや最近、施されし者が文秋砲に「サクラ」と謳われたんだっけ。あの週刊誌ったら、頼もしい存在と思ってたけど間違った情報を載せるだなんて、たいしたものじゃなかったんだね。施される者は本当に金のなさそうな顔をしていたし、入信したいが一心で必死に頭を下げていた。その熱意に心を動かされない者などいない。私も2度ほど施した。それで「徳」は、倍の倍に膨らんだことになるそうだ。ふふ。
預貯金額からすれば、あと8回は施せるかな。やればやるほど徳が積めるから、機会がああればまた、と思っている。
施しが11回目を迎えたとき、顔色が変わった。ない袖は振れないが、袖は借りてくる金で見せかけることはできる。一度借り、二度借り、6度目を過ぎたとき、金貸しから督促の電話が入り始めた。
「どうすればいいのです?」
しつこい電話に悩み、エリア・リーダーに相談してみた。これだけ献金の肩代わりをしたんだもの。徳も積んだし、互助の精神は私に向いてもいいはずだ。
だけど。
「お金は教団が用意するものはないでしょう、筋違いです」と言う。返された手のひらから谷底に落ちた思いがした。「でも心配にはおよびません。たくさん徳を積んでこられたのですから、じき事態は好転し始めます」。落下し続ける体に、実体のない糸を垂らされた思いだった。
数日後、私は見てはいけないものを見てしまうことになる。文秋砲が新たにうちのエリア・リーダーをすっぱ抜いていた。目を黒く塗り潰されていたけれど、紛れもなく彼である。
『献金に加えて保険金まで巻き上げる儲けの黒いカラクリ』
エリア・リーダーが保険会社の営業マンと話している。テープ起こしの原稿が、会話を再現していた。飲みかけのコーヒーカップは宙に浮いたままだ。
「2憶円の生命保険をこの方に、ですね。2割で手を打ちましょう」と保険マンが涼しい顔で言う。カップは宙に浮いたままだ。
「取り立て屋も、死人からはお金を取れませんしね。丸儲けですね」
浮いたコーヒーカップは、まるで勝利を祝うグラスのようだ。
文秋砲がふたりのやりとりで端折られている行間を、脚注に添えていた。
(対象者はこれまで合計800万円の献金を行っている。それに、保険金2憶円から2割引いた1憶6,000万円が足されるわけですから、教団の取り分は1憶6800万円になりますね)
800万円と聞いて、私の背筋に冷たいものが走った。私が行った献金と施し分を合わせた額と一致する。金を借りていることも。
私の心が、宙に浮いたまま止まってしまったようだった。
教団の信者数は1万5000人を超えた。ひとり50万円が献金の最低額だから、少なく見積もっても教団は最低75億円を集めたことになる。なんてったって、政治家が足を運ぶ組織なのだ。政治家が看板で仕事を大きく転がしていくように、政治家という看板は、信用に厚みをつけていく。
記事中の保険マンが口角を上げて言う。「先生方のおかげでうちの上層部も手放しで信用してくれますから」
文秋砲が「対象者はまだ生きているものと思われる。特定し、救い出せるかどうかは関係各位の協力次第だ」と記事を締めくくっていた。
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