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韻を踏む言葉の国の人だから。

 エベレストと聞けば、good、better、bestの韻に絡んで最上級をイメージするけど、同じ山なのにチョモランマは耳にすると、愛くるしいけど威厳に欠けるように思う。認識の断層とも言うべき誤謬であることくらいわかっちゃいるけど、そこは韻を踏み、文字に意味を込めてきたお国で暮らしてきた人だもの、なんとはなしにこだわりたい。
 たとえば「茫として杳」というような表現は、杓子定規で数式的な言語では言い表すことはできないし、頬をかすめるそよ風がもたらす心地よさに通じる側面からの手招きに、そこはかとない奥ゆかしさをもたらされずにはいられない。
 言葉は韻を踏んで心地よい。味覚においても例外にあらず。ハマグリ・グリル、ズラリとサザエ壷焼きーーこれらは垂涎の味の素。だけど、ホンビノスを刺し身で、と初めて聞いた時、それって何? と疑問符が脳天から躍り出た。韻を踏みにくい単語だし、イメージも湧かない。食い物ですってぇ? まさかーー否定までしたくらいだった。
 慣れりゃその味が恋しくもなってくるのでございましょうが、現時点で韻の美観は遠目に見ても、傘の内でも、日が暮れてから見ても感じませぬ。韻は世につれ、世は韻につれと申します。時代が移れば韻の良し悪しも変わっていくことでございましょう。韻にも押し寄せては引いていくというものがございましょうから。
 
 韻は、心地よさも味覚も左右する感受の道標。ゆるがせにしたくない生の鼓動の伴走者。
 この国に生まれてよかったという思いを重ねていくために、背伸びしてでも捻り出し、ひとつでも多く「いい韻」を踏んだ言葉を紡いでいきたいなあ。

 遅ればせながら初頭の決意表明の真似事などを。

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