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しないことをする旅。

 いつの頃からか、しないことをする旅▼▼▼▼▼▼▼▼▼が増えた。雑踏を避け、空気の伸びやかさと清冽さを心の舌で転がし、囀りや清流や季節の虫の音に聞き慣れない音階を見つけ、酔い、息を呑み、見過ごしていた生命力の違いが味覚に現れる不思議に目を丸くする。ふだんの生活圏では流れない春に溶け出した雪のような時間に、気づきの刺激が甘やかに染み込んでくる。歯切れのいい感嘆符がつながれば、しゅに祈る間もなく望みも喜びも満ちていき、溢れ、こぼれる。

 観光地の一つや二つはまわってもいい。いつどこに行ったかその楔に目印としてのリボンを結びつけておくといったい意味合いで。書籍に栞を挟み込むのと同じように。

 宿は安くてもいい。高くてもいけない。宿選びの心得はひとつ。宿は、物理的にも精神満足度的にも実質的に旅の半分を占めるから、宿に満足できればその旅は成功したも同然、だからゆるがせにしないこと。
 ゲストハウスに泊まるにしても、安上がりなだけで選んではその旅は失敗する。「泊まりたいゲストハウスだから泊まる」でなければ、旅は不健全なものとなり、不完全燃焼を起こす。すると有害物質が発生し、遅かれ早かれ窒息してよかったはずの旅が死んでしまう。深呼吸が美味うまくない旅なんぞ、空腹でもないのにかっこむ飯みたいなもので、負荷がかかるばかりで順当で健康にそぐう精神の血肉にはなってくれない。リフレッシュも叶わない。興味のガイガーカウンターが泊まるに値する数値を指し示しているかどうか、結果として及第点を取れそうなのか。宿選びはそのようにして慎重かつ健全に執り行われなくてはならない。

 そもそも、しないことをする旅▼▼▼▼▼▼▼▼▼とはなんぞや、である。
 要点をまとめれば、押さえるべき事柄が3つほどあがってくる。まずは、記録を残すための観光地巡りをしない(もしくは決して欲張らない)こと。次には、トライアスロンじゃないのだから、心身に負荷のかかるスケジュールは立てない、無理な移動はしないこと。そして最後が、お土産の買い物旅行ではないのだから、悪いけど誰にもお土産を買うような真似はしない(もしくは手持ちのバッグに入れられるものしか買わない。決して手持ちの荷物を増やさない)こと。
 これをしないことをする旅の3原則▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼▼と命名した。たった3項目を実践するだけで、旅先で他人行儀だった我が心が、よそ者からロコ寄りに傾く。先を急ぐ旅人からローカル時間マイペース人間に化身するから、歩く速度がスローになる。歩調が緩めば視界がワイド画面に拡張され、駆け足でまわっていた頃には気づかなかったものが視界に飛び込んでくるようになる。

 軽井沢でショッピングを目的にしたら、アウトレットでどれだけ安く欲しいものが手に入れられても、交通費分で行ってこい、なんてことにもなりかねない。軽井沢の空気の中で買うから意義があるとおっしゃりたいのなら、おおいに声をあげてくだされ。否定はしない。楽しみ方は人それぞれ。最初に書いたように、しない旅▼▼▼▼をする機会が増えたのは、あくまでも個人的嗜好に変化があってのことだから。
 しない旅▼▼▼▼では野菜に咲く花に目を休め、道端の植物が放つ香りに陶酔してみせる。空を行くトンビの軌道を見失うまで追い、期待を膨らませて飛び込んだ路地で迷子になる自分を愉しむ。郷土料理に興味がないことはないけれど、長蛇の行列に1時間待ってまで食いたいとは思わない。1時間あれば、4〜5キロ歩ける。それだけの道のりがよぶんに捻出できれば、地場のお店の一つや二つ、きっと出会える。運よくスーパーを見つけたら、地元で採れた果実を買い、齧り、ライトミールのあとは乗りもしないバス停のベンチでひと休み。
 体内に沈澱した都会の澱が足元から流れ出していくのが感じられる。流れ出たらその部分に空きができるから、地場のエキスをお裾分けしてもらうことにする。

 しない旅▼▼▼▼は何ものかを追いかけることを目的としないから、急かされないし安定的だ。得られる安心感は、結果を最初にバラしちゃう『水戸黄門』くらいに揺るぎないけど、それだけじゃない。突発的な出来事に遭遇しても、予定づくしの旅行とは違って気を揉まなくて済むし、動じることがない。予定が詰まった旅行だと、アクシデントは顔を青くするでしょう?
 でも、しない旅▼▼▼▼ ならだいじょうぶ。
 100パーセントそうかと問われれば自信をもってそうだとは言えないけれど、可能性でいえば高い確率でイエスと言える。土地の喫茶店で話好きのじいちゃんに釣りの自慢話を長々とされたってしない旅▼▼▼▼なら受け止められるし、レンタサイクルのチェーンが外れても、どんと来い、とかまえていられる。なんていったって、時間はたっぷりある。急かされないから焦ることもなく、しない旅▼▼▼▼が受容していく。

 旅先にはそこにしかない空気にその土地ならではの色が着いている。色味は、網膜の裏側に隠された想像センサーが察知するようになっている。しない旅▼▼▼▼をすると、そのスイッチが自動で入る。忙しい旅人は、もったいない。せっかく多機能に生まれたのに、機能面で優れたハイテク部分しか活用していない。
 いいじゃないの、たまにはローテクな自分を曝け出しても。
 しない旅▼▼▼▼とは、忙しさを先に行かせて、忘れていたものに目を落とす旅のことをいうんだよ。

『あそこに行くの? 何にもないじゃない』
「あら、そうかしら。私はそうは思わないけど」

あくせくやっても急かされる現代社会で《(恣意的)しないこと》はどんどん貴重になっていく。

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