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いけないのは、あの人ばかりじゃないのかも。
好き嫌いと良い悪い、言っていい場といけない場との組み合わせで炎上することあるけれど(LGBTの発言問題で更迭云々のお話ね)、好き嫌いの個人の嗜好と思考の是非を一緒くたに弾劾していいものか?
異性間なら、あの人好き、嫌いの感情を口にして非難されることって滅多にないと思うけど、同性間ではセンシティブになってしまうのは、反発する側の神経が尖りすぎているからかしらん。
どうして「個人的には生理的に受け入れられないけど、倫理的に受け入れなければならないのでそうします」と言わないのだろう? 言ったとして反発されることは目に見えているから触らぬ神には祟られまいと、自分を偽ってしまうのだろう。
人を非難する側の人も、相手を多様性の一人だと認めてくれればいいのにね。
身勝手な人が多すぎる。人って元々そういうもの?
本音と建前はきっと永遠のテーマなのだと思う。どれだけ建前を上塗りしても、本音はちっとも変わらないっていうのにね。
もし本当にこの問題に取り組みたいなら、人物を糾弾するのじゃなくて、その人の言動のどこがいけなかったのか、分解していけない部分を抜き出して、そこをいじめていかなきゃ。漠然と「悪い行為」と理解の深淵なしで決めつけてばかりだと、誰も理解の深みに足を踏み入れちゃくれないのに。
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