街と、その壁の、不確かな展開。
ひと区切りごとにひと休み。70分の1を読み終えるごとにひと休み。読み終える悲哀が日々募っていくとわかっているから、一言一句をなぞって追う。軽んじてしまったセンテンスは、落としてしまったハンカチを拾い上げるみたいにして振り向きつまみ上げ、読み飛ばそうとしてしまった後悔を埃に変えて吹き飛ばし、なぞり直す。見落としなんてもったいない。6年ぶりの長編小説、誰よりも先駆けて卒論を氏で書いた身としては、最後になるやも知れぬ作品に、全精力を傾倒し臨む。
まだ70分の6に達したばかりだけど、氏が書籍化を拒んだ初代『街と、その不確かな壁』に走った筆致が垣間見えたりして懐かしい。
初代『街と、その不確かな壁』を素通りしてしまったハルキニストたちは、きっと新版のルーツを『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に見たに違いない。かつて初代は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に左右どちらかの半身として取り込まれた。あたかもタイランド・アユタヤの古に祀られた仏像の頭部が長い年月をかけて大きく育った樹木に取り込まれてしまったかのように、自然の流れに委ねられて不自然に。
読み始めてすぐ、先まわりされたことを不思議に思った。作品はクランクアップし、すでに変更の余地のないニガリのようなもので固められ製品になっている。なのに。
少しずつ少しずつ、700ページに迫る霊峰を登るのに足下から伝わってくる感触を舌の上で転がすようにして歩を刻んでいくと決めた登頂の欲求に即した区切り方を、なぜ入稿に至るまでに氏が仕掛けられたのか、欲しているものに応え得たのか。山岳は10合目で山の征服を祝してくれるが、この本は70合目まで登って制覇とみなされる、その登り方が一気読みさせるのを拒むように、歩みを小出しにさせては休ませ、休んでは歩むように小刻みに区切られている。この読書の道行きは、密かに、それでも確かに企んでいた読み方とまったくもって符合している(いわゆる牛歩読み。読者すべてがこの牛歩読みを望んでいたかどうかに責任は持てないにせよ、少なくともそう願っていた読者はこことあそこと最低でも2名はいる)。
発刊まで、願わくば期待にそった段取りを組みやすい構成でありますようにと願っていたが、祈るまでもなく思いはとっくに通じていた。
70分の1ずつを、読んでは腰をおろし歩んできた道程を振り返り、軌跡を噛み締め味が染み入るのを待ち、含まれた隠し味に思いを馳せ過去になぞらえて接点を探し、見つけたものが作者の想いと合致しているんだかいないんだか確かめようのない憶測に弄ばれ、過去への羽ばたきに疲れたら、再び本流に熱めの湯の加減を探るみたいにして、そっと足を浸してあまやかに戻っていく。
まだ起承転結の『起』に足を踏み入れたばかりだというのに、この期待感はどうだろう。物語の盛り上がりはこれからだというのに、今から胸を高鳴らせてしまっている。この時点でこれだと、これからはどうなってしまうだろう。
「語るべきものはあまりに多く、語り得るものはあまりに少ない。おまけに言葉は死ぬ。」
初代『街と、その不確かな壁』の冒頭フレーズが、70分の1ずつを跨ぐたびにリフレインされていく。氏は初代作品を失敗作として書籍収録を許さず、闇に葬った。それは「語るべきものを語り得なかった」ことで慚愧の念に苛まれたせいか。もしかしたら新作『街と、その不確かな壁』にその理由を見出せるかもしれない。
川上未映子氏が『みみずくは黄昏に飛びたつ』の中で、氏が作品の中で行う壁抜けに紛れ込もうとした。ちゃっかりついて行こうとしようとしたのだと思う。その試みがうまくいったかどうかは、書籍という公共に開かれたインタビューに収録されるべきものではないから裏側でどんな密約が交わされたかは知る由もないけれど、個人的には「うまくいかなかった」と信じたい。何人も超えてはいけない壁なのだ。超えてほしくはない壁なのだ。肉体は壁のこちら側に置き去って、魂だけが入場を許された領域であってほしいから。
これからも、誰も超えてはならないのだと思う。超えてしまえば、きっと魔法は解けてしまう。12時までに戻らなければ馬車がかぼちゃに戻ってしまうみたいにして。
世の中には、解いてはいけない魔法をいくつか残しておいたほうがなにかと都合がいい。氏のかけた魔法はその最たる候補であり、ディズニーのエレクトリカルパレードとは次元の異なる輝きを放つ。
残るは70分の64。この調子では10日余りで終焉を迎えてしまうことになる。これだけ高鳴った胸の高まりが、10日余り後には萎んでいってしまうということだ。
……。
いや、この目前に立ちはだかる難題を回避する策は何かしらあるはずだ。壁は必ず抜けられる。そう信じて、70分の1ずつをまたひとつ。
※『街と、その不確かな壁』初出は昭和55(1980)年)『文学界』9月号に掲載された村上春樹氏の中編小説。
文芸誌等に寄稿された短編を含む氏の作品はことあるごとに書籍化でリリースされていったが、この初代『街と、その不確かな壁』は氏が失敗作として位置付け、どの書籍にも収録されることはなかった。
本文でもふれたとおり、この作品は『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』に吸収され、それで幕を閉じるものと思っていた。
同名の新作が発表されたことに驚きを禁じえないが、あえて同名とすることの意味を深掘りしていくと、よからぬ憶測も湧いてくる。
杞憂に終わればいいのだけれど。
※新作は、まるで週刊漫画を1タイトル読みきるほどの分量ごとに区切られている。70のブロックが連なり構成されている。
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