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ゆっくりと磨かれた水で作った、ゆっくりと時間をかけて楽しむクリームラガー
ゆっくりと磨かれる水、ゆっくりとした味わい
―富士山から百年かけてたどり着いた水
その味を想像できる人はいるだろうか。
山麓で降った雨や、降り積もった雪が富士山に染み込み、地中をゆっくりゆっくりと旅しながら、三島溶岩流によってろ過されていく。
清涼でまろやかで、クリスタルのように透き通った水。
そんな時間をかけて磨き上げられた水を使い、「ゆっくりと時間をかけて楽しむ」ビールを作るブルワリーが静岡にはある。
沼津クラフト
「slow beer slow life」をコンセプトに掲げる静岡のブルワリーだ。今回は彼らの話をしたいと思う。
「slow beer slow life」 ゆっくりと時間をかけて楽しむためのビール
駿河湾からほど近い港町にあるブルワリー、沼津クラフト。
ロゴには太刀魚の巻き付いた錨が描かれ、彼らのコンセプトである「slow beer slow life」という文字が躍る。
「slow beer slow life」
この言葉は彼らのビールへの、そして飲み手への想いそのものだ。
そんな彼らの造る「沼津クラフト」は、栓を開けた瞬間からもちろん美味しい。
グラスに注ぐ際に香る、心地よいモルトとホップのアロマ。口に含むと雑味のないクリアな味わいが広がり、彼らのこだわりであるホップとモルトの絶妙なバランス感が際立つ。
そして、「ゆっくりと飲むこと」を前提に造られている彼らのビールは、少し温度が上がったとしても変わらずに美味しい。
ことエール系ビールに関しては、少し温度が上がった12度のタイミングで、最初とは違った味わいへと変化する。グラスに注ぎ、時間をかけて味わうことで、その表情をゆっくりと変えていくのだ。
それはまるで、英国でこよなく愛されており、同じく時間をかけて味わいを変化させるリアルエールを思わせる。
「アイスクリームと同じイメージです」
沼津クラフトの曽根田さんは語ってくれた。
「アイスクリームも冷凍庫から出してすぐは甘みをあまり感じませんよね。でも温度があがり溶け出すと、甘みやコクが増します。わたしたちのビールもゆっくりと時間をかけて楽しんでいただけるよう造っているんです」と。
少し温度が上がった沼津クラフトのビールは、その言葉通りにしっかりと花開く。
さらにまろみを増す口当たり、麦のふくよかで芳醇な甘さ。そして爽やかで心地の良い苦みの余韻。グイグイと飲んでしまったら出会えない味わいが、たしかにそこにはある。
そんなビールの中で、最も長く愛され続ける定番ビールが「クリームラガー」だ。
柿田川の湧き水をイメージした、クリームラガー
創業当初からの人気定番ビール、クリームラガー。
名前の通り、小麦麦芽由来のクリーミーでまろかやな口当たりのラガービールだ。
仕込み水として使用している、柿田川の水。その湧き水をイメージして造られており、口に含んだ瞬間にキンとした水の力強さを感じる。心地の良い苦みと奥深いモルトのコク。雑味などはまったく感じられず、丁寧に造っているというこだわりがヒシヒシと感じられる。
ホップをきかせたインパクトの強いビールではなく、何杯でも飲みたくなる、生活に寄り添ったビール作っている、曽根田さんがそうおっしゃっていた意味がよくわかる味わいだ。
青々とした木々の中をゆるやかに流れる、透明度の高い美しい水。
綺麗な川でしか生息できない天然の鮎の群れ。清流にのみ育つことができる水中花、三島梅花藻(ミシマバイカモ)。
そんな柿田川の美しい風景を目に浮かべながら飲みたくなる。
人生はビールと共にゆっくりと楽しむものである
「slow beer slow life」
彼らのコンセプトであるこの英文をどう訳すのか。
「ビールを飲みながらゆっくりとした人生を」
「人生のようにゆっくりと時間をかけビールを楽しむ」
きっと様々な訳し方があるだろう。
「この意味は、飲み手の方それぞれの受け取り方で解釈してもらえればと思います」と曽根田さんは言う。
たしかに一杯のビールの味に対する感覚が一人ずつ違うように、一杯のビールをゆっくりと楽しむ時間への感覚も一人ずつ違うはずだ。
だからわたしはこの英文を「人生はビールと共にゆっくりと楽しむものである」と訳すことにする。
わたしたちはとにかく毎日忙しい。
仕事に、家事に育児に、人付き合いに。そして時には趣味であるものにでさえ追われることもある。
でも部屋を片づける暇もなかったとしても、常に一杯のビールをゆっくりと楽しむ余裕は持っておこう、沼津クラフトとの出会いはそう思わせてくれた。
急いで飲んでしまったら味わえない世界がそこにはあるのだから。
文 : 小林加苗