タモリVS星野源
「タモリ軍団」という言葉ほどタモリから遠いものはないが、たしかにある種のタモリファミリー的な人たちがいることは事実だ。昔だったらそれこそ赤塚不二夫、山下洋輔、筒井康隆、赤瀬川原平など(「ハナモゲラの研究」でググった方が早い)、今だったら安斎肇やみうらじゅん、リリーフランキー、福山雅治などがそこに入ると見ていいだろうか。以上は大略として、今日問題にしたいのは、そこに星野源が入れるかどうかという問題だ。タモリのオールナイトニッポンにゲスト出演したり、空耳アワーに出演したり、なんらかのアプローチを見せていることは確かである。星野は果たして、サブカルいけます、エロいけます、の令和版なのだろうか。
正直に告白しておくと、星野のことはそこまで詳しくないから、以下に書くのは彼が空耳アワーに出た際のほんの小さなやりとりをめぐってなされるささやかな妄想であることをご了承いただきたい。
空耳アワーで、星野は面白い、かつ「角度をつけた」コメントを残そうとしてか、しきりにカメラワークや「この風吹かせるの、スタッフさん大変だったんじゃないですかね」といった技術的側面からの寸評をした。しかしこれがどうにも番組から浮いているように思えてならなかった。第一タモリという人が、まずもってカメラワークだとかいう事柄は野暮として触れない人間ではなかっただろうか。もちろんすべての空耳を確かめたわけではないので確証の限りではないが、例えばこんな名作空耳に対するタモリの対応を見てみよう。
アンスラックスの「アイムザマン」という曲の「meaning point not point not」という箇所が「みりん、ぽいな、ぽいな」に聴こえるとして爆笑を誘い、そのVTRがまたシュールなもので、男3人が暗く狭い部屋で、コップに入った透明の液体をぺろっと舐めてくだんのセリフを言うわけだが、この男たち(お馴染みの俳優陣)がなぜか上半身裸なのである。YouTubeのコメント欄では皆そのことに狂喜してツッコんでいるが、不思議なことに、そういうポイントを真っ先に指摘してもよいはずのタモリ当人は、そこをスルーして、言ってるか言ってないかの話に終始しているのである。これはよくよく考えると不思議なことだと思い、何度も見返すうちに気がついた(以下は妄想である)。タモリはきっと、「僕たち」にそこを気づかせて指摘させてくれる余地を敢えて残しておいてくれたのではないか…!?
たしかにここでタモリがいの一番に裸のことを言っていたら、我々の出番はなかったであろう。ジャン・ルノワールの有名な言葉「偶然のためにドアを開けておけ」とはこういうときに使う言葉なのだろうか。翻って星野のカメラワーク云々が少々鼻についたのは、やはりその「俺がここ見つけました」感ではなかったかと思う。タモリはもっと謙虚で、一歩引いたところから全体を見ている観察者なのだ。星野がこの先歳をとってそのようになっていく可能性ももちろん考えられるだろう。だが現段階では、星野のタモリファミリー入りはちょっと保留だ。