エッセイ「伏線回収」に抗って
最近の朝ドラを見ていると、最終回に、それまで出てきた登場人物全員が集結、というのがお決まりのパターンのようである。『舞いあがれ』の時など、別れた元彼まで集うのだから、現実離れも甚だしい。まあ現実じゃなくてドラマだからいいのだが。しかし、そうした「(伏線)回収」ブームよりもむしろ私は、回収の逆、つまり「発散」に望みを見るものである。青山真治監督の『EUREKA』で、斉藤陽一郎演じる秋彦は、序盤からずっと役所広司と、宮﨑兄妹と並走して物語を歩んできたのに、話が8割を超えたあたりで突然、物語世界(=バス)から放り出され、それ以降ラストに至るまで還ってくることがない。この発散っぷり(どこ行っちゃったの〜?)を私はフィクションの希望と見る、と言いたいのである。なんでも回収することが持て囃される流れの中で、それに抗って発散する『EUREKA』のような作例を、残念ながら私はまだ他に見つけられていない(あるいは気づいていても、即座に思い出せない)。このストックをいくつも増やしていくことが、喫緊の課題である。