「げんきなおともだち」とは何か

今更だが私のハンドルネーム「げんきなおともだち」とは一体なんだろうか。ただのナンセンスワードだと思っている方もおられると思うが、実は自分なりに何年もかけて概念形成してきたものである。一言で言うと、ある種の人間のタイプであって、MBTIで言う「建築家」とか「提唱者」のようなものとして「げんきなおともだち」という一群の人々がいると思ってもらえればいい。どんな人がそこに属するの? と問われると、百人近く答えることができるのだが、個人名を使って何か概念の遊戯をやる(そしてそれを公に発表する)というのは少々勇気のいることで、今まで公表を控えてきたのだが、まあできる範囲でやっていこう。
まず「げんきなおともだち」には定義というか、それに当てはまる条件が5つある。

①あまり元気でないときがある
②でも元気に振る舞っている
③視野が狭くなる瞬間がある
④見てて笑える
⑤突き抜けている

この中で3つか4つ当てはまればその人はおともだちである。ちなみにこの中で群を抜いて重要なのが③で、自分の世界に瞬時に「入る」ことができる人(この「入る」という感覚については以前noteに書いたので併せ読まれたい)は、立派なおともだちである。アスリートの中にそういう人は多く、わかりやすい所で言えばイチローや中田英寿が持つある種の気難しさ、こだわり(イチローは毎日カレーを食べる、など)からおともだち臭を感じとってもらえるだろうか。「おともだち語彙」というのがあって、「〜しか」とか「最強」「孤高」などという言葉を好む人はその傾向があるかもしれない。他にアスリートだと、朝青龍なんかの独特な面白さ、お騒がせ感もおともだちである。
私が大好きな番組「SASUKE」の山田勝己なども、細かいところを気にし過ぎてミスを繰り返したり、涙もろかったりと、おともだちの典型である。ただこのあたりで急いで言い添えておかなければいけないのは、おともだち概念は、人を揶揄する類のものでは断じてないということである。そうではなく、ちょっと生きづらい人、人間くさい人に向けての肯定的な人間讃歌なのである。この点を誤解して、揶揄の概念だと思わないようにぜひ注意されたい。SASUKEの中には、朝一真というおともだち中のおともだちみたいな人がいて、彼は最近の大会には出ていないので知名度は高くないかもしれないが、背中にマジックで「SASUKE魂」と書く(池に落ちたら汚れる)、競技プレー前に公開プロポーズをする、クリアして「俺が朝一真じゃー!」と雄叫びをあげるなど、まさに生けるおともだちの伝説であった。昔のスポーツマンNo. 1決定戦に出ていた、今は純烈に所属する白川裕二郎などもそうである(純烈になってからそのことを隠し気味にしているのが、おともだちマニアとしては悔しい。もっとバレてほしい)。思えば私が10歳ごろから自分はおともだちに魅せられていたのか。30歳を過ぎてその概念形成を始めるようになり、何年かで雛型ができあがった。

何を隠そう、私自身が「げんきなおともだち」と名乗っている以上、げんきなおともだちであると思っている。ただしそのことに自覚があり、かつ言語化や概念化の能力も持ち合わせている、やや特殊なタイプというべきか。尤も山田勝己だって、近年は自分が面白い(と世間から思われている)ことに自分で気づいている、完全に。だがおともだちの真の面白さは、気づいたうえでも、自分で意図した範疇の外部から面白さを呼び込んでしまうところにある。真の道化性というべきか(これも馬鹿にして言っているわけではない、為念)。自分だけに限って言えば、発達障害だとか自閉症だとか、ずいぶんと色々なレッテルを貼られてきたが、その正当性以前に、それがひとが作ったレッテルであるということに私は居心地の悪さを感じてきた。自分のレッテルは自分で貼りたい。そう思って、肯定的な呼び名として作った名前が「げんきなおともだち」である。映画監督のレオス・カラックスは、本名のアレックスに「オスカー」(のちに自分が作る作品の主人公である)という名前を混ぜてアナグラムにし、「レオス・カラックス」という名前をわずか13歳にして創り上げたという。そのとき彼の中にどんな意図があったかまではわからないが(一度カラックスとは話をしたことがあるので、聞いてみればよかった!でも彼はめちゃめちゃ話しかけるなオーラを出していた!)、お仕着せの名前に満足できないという気持ちがひょっとしたらあったのかもしれない。私の筆名も「げんきなおともだち」でいくつもりだ。近頃話題のこっちのけんとさんや、芸人のもりやすバンバンビガロさんの名前を聞くと、なんとなく仲間意識を感じてしまうが、それはあくまでもこちらの勝手な思い込みである。

さて、こういうのは本来Twitterのハッシュタグで企画するべきかもしれないが、皆さんももし「この人はげんきなおともだち」では…?と思う人がいたら、ハッシュタグ「げんきなおともだち」で投稿してほしい。おそらく挙げられるほとんどすべての名前について、既に一考を加えたことがあると思いますが、一応この概念の作成者である私が判定してみます。ですがやがてはこの概念が一人歩きし、流行語とは言わずとも、「あの人ってげんきなおともだちだよねー」などという会話がふつうになされるような日が来たら面白いと思う。

なお、「げんきなおともだち」とは別の「本物のおともだち」という概念もあるのだが、それについては別稿にて説明したい。

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