司馬遼太郎と太宰治
異色の組み合わせだが、まず司馬遼太郎の作品に尻啖え孫市、というものがある。動詞の命令形に人名。
まさに太宰治の走れメロス、と同じ構造である。
走れメロスは言わずと知れた作品な為内容は割愛するが、尻啖え孫市のあらすじはザッと下の様な感じ
戦国時代。日本一という旗を持った男がのそのそと織田信長の城にやって来る。その男が最強の鉄砲隊を率いる孫市である。その後、恋焦がれた女(孫市曰く織田家の女だとか)を秀吉と共に探す事になる、しかし信長は何処の馬の骨とも知れぬ奴に織田家の女はやりたくないと孫市に偽の女を渡せと秀吉に言う。孫市は秀吉の(実質的には信長)に騙された事を知る。孫市は激怒し、なんやかんだで信長と対立する。対立の背景にも女の事が絡む。
この中に孫市は激怒し、と書いたが実際の作品(尻啖え孫市)にも孫市は激怒した。とメロスは激怒した。にほぼ同じ部分がある。また冒頭の孫市が信長の城に来るシーンもメロスの王城に似ている。
もしかするとの仮説だが司馬遼太郎は走れメロスを意識しただろうと思う。
実際司馬遼太郎は四十代頃から太宰治を読んでいたらしい。また街道を行くの北のまほろばは太宰治の記述が大半。自身の随筆でも太宰ネタは比較的に使っている。
大分、話は変わるが走れメロスには人質という元ネタがある。
太宰版よりも勇者的なメロスが登場する。
話を戻すと、個人的な結論で国民的作家司馬遼太郎が太宰治の影響を受けているのだとすれば樹形図の様に広がる世の中の人は大体ダザイストという強引かつ恐ろしい話になる。
どちらにせよ愛されている二人は大きな影響力を持っている訳だ。
ニコプチ風。