母が『最期』にみせてくれた、思いがけないこと。
12月1日15時55分に母、テルコさんが最期を迎えました。
90歳。
死亡診断書には『老衰』と書かれています。
お世話になった介護施設は、テルコさんが危篤になってからは、コロナ禍でも自由に出入りさせていただける施設。
そして、最期の看取りも、病院でなく、施設でしていただきました。
多分,病院に行ってしまったらできないことをテルコさんも私たち家族も体験できた、と思います。
例えば、泊まってもよい、とテルコさんのベッドの横にソファも用意いただきました。
母が『最期』にみせてくれた、思いがけないこと、とは、わたし自身が、老衰と言う形で『最期』に向かうプロセスを見るのは、はじめての中で感じたことです。
何より思いがけなかったのは、老衰は
生き物が「自然な変化をして、最期にたどりつく厳かな儀式」であることでした。
最期に向かう2か月くらいの間の変化を少し思い出してみます。
老衰に向かうには、まず、延命治療(胃ろうなど)を施すかどうか、家族に判断を委ねられます。
本人がどうしたいか、を生前に聞いておくように、と言うのは、よく言われることです。わたしも、テルコさんかがまだ、認知症初期の頃に確認していました。
えー!! そうなん?てっきり、延命治療はしたくない派と思い込んでいました。
そのテルコさんの希望を無視して、今回延命治療をやめたのは、残された父イチローさんを一番に考えたからです。
その時の様子はこちらから
テルコさんの最期までの1年、イチローさんはテルコさんの施設に入居し、少しでも認知症がよくならないか、と模様替え、読み聞かせ、美味しいおやつ作戦を献身的に実行していました。
が、テルコさんは、次第に反応しなくなり、それがイチローさんの哀しみとなり、鬱になっていました。
『何も分からなくなっても生きているテルコが可哀想だ』と言うチローさん。どこかで、自然な区切りをつけてあげたい、それは家族の願いでした。
それはたぶん、テルコさんも許してくれるだろう。(ここは本当のことはわかんない)
直接の死因となる病を持たず、老いによる身体機能の低下で死を自然に迎えることを選ぼう、と家族の想いは同じでした。
では、身体機能の低下で死を自然に迎える時、人はどうなるか、私が見たサンプル1ですが、お話しますね。
①食べれなくなる。
あんなに食いしん坊だったテルコさんが食べれなくなりました。口にいれても吐き出してます。
ああ、こうやって、食べれないことが肉体として最期に向かうことなんですね。
②自分の中で使えるものはすべて使う
食べれなくなったら、蓄えていたものを全部使います。冗談のようによく言う「私蓄えが多いから、食べなくてももつわあ」というのは本当で、食べることができなくなったテルコさんは、むくんで痛がっていた足に溜まった水分も消費していきました。足は憧れの美脚に。
③体温が下がっていく
手を握っていると、毎日の体温の変化がわかります。次第に冷たくなる手足に、思わずネイルをしました。
④耳は最後まで聞こえる?
これは、施設の方や看護師さんにお伺いしたお話ですが、反応しなくても最後まで耳は聞こえているから語りかけはしてみてね、と言われました。
ずっと語りかけていました。が反応は特になく、語りかけることで家族が励まされるのかもしれません。
⑤顔に死の準備が出てくる
あ~~ぁ、これは最後が近くなったなあ、というのは、呼吸や血圧にも出るのだけれど、近くで見ていたら顔がどんどん変化していきます。それは、言葉にしにくいのですが、どんどん、神々しくなっている気もします。
最期はつらく悲しいことかだけかと思ったら、最期を迎えるプロセスはとても神々しく、ただ、ただ、見惚れていました。
母テルコさんが『最期』にみせてくれた、思いがけないこと。それは、『最期』がテルコさんの90年が素晴らしいものであったことを証明できること。
悲しみより、思いがけない「感動」に胸がいっぱいになったことです。