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【後期流産(死産)⑥】ついに出産。赤ちゃんは姿を見せずにお空へ。

陣痛が来て、出産に至ったときのことを書きたいと思います。
前回の内容(陣痛を待つまでの処置など)はこちらです↓



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8月20日(火)21時30分「促進剤を追加。これが陣痛か…?」

この日最後の診察。内診グリグリと陣痛促進剤追加。
先生からは、明日の朝6時半にもう一度診察をするので朝早いけど診察室に来るように言われた。助産師さんが、「起こしに来るから安心してね」と言ってくれた。
夜中に陣痛が強まる可能性もあるけどその時はその時だから。と言われ、いつまで自分の気力が続くのか心配になっていた。「早く終わらせたい」という気持ちが強くなっていた。
 
30分後…
明らかに今までとは異なる痛みが急に始まった。
「これが陣痛か…?」と思いナースコール。
「もっと痛くなるからね~!」と言われ、耐えるように言われた。まだまだか…
そこから数分かけて痛みがどんどん強まり、旦那に腰をさするようお願いした。
さすってもらって痛みが緩和されるというわけではないが、気持ち的には少し楽になるような気がした。
 

8月20日(火)22時40分「陣痛のピーク、トイレで出産」

痛みがピークになったと思う。
こらえきれず、「痛い、痛い」と結構大きい声で言うようになっていた。
「もう無理だ、ナースコール押して・・・」と旦那にお願いし、助産師さんに来てもらった。
自分で体勢を変えてナースコールを手に取ることすら無理だった。

👩「この痛みはまだ続くんですか・・?」
👩‍⚕️「まだもう少し痛くなると思うのよ・・・辛いね。」
👩「朝まで続くんですか?」
👩‍⚕️「朝までは続かないと思う」
👩「痛み止めとかないんですか?」
👩‍⚕️「痛み止め、無いのよ~耐えるしか。」

痛い痛いと叫びながら、藁にも縋る思いで助産師さんに解決策を求めたが、「耐えるしかない」とのことで、絶望感が強かった。
「痛すぎる!死にそう!こんなに痛いのに元気な赤ちゃんに会えないなんて辛すぎる。」
感情のままに大きな声を出していた。涙は出なかった。
まだ陣痛は治まらない。
 
助産師さんが私の膝あたりを抑えてさすりながら、陣痛をカウントしてくれて、
旦那は私の腰を必死にさすりながら、「大きく吸って~、ゆっくり吐いて~」としっかり声がけをしてくれた。
手のひらの皮膚の感覚がなくなるほど懸命に腰をさすってくれて、声がけも安心感があり頼りになったのでありがたかった。
次も絶対立ち会ってもらおう。そして次は無痛(和痛)分娩を選びたい…と、痛みに耐えながら強く思った。
 
この時すでに23時20分ごろだったと思う。痛みがピークの状態で、4、50分くらい耐えていた。
「いつ、分娩室に移動するんですか・・・?」痛みに耐えながらも質問ばかりの私。
「先生にも痛みが強くなったと伝えてはいるんだけど、痛みが引いてから分娩室に来るようにって言われてるからもう少し耐えようね」
 
この痛みが治まることがあるのか‥‥??
👩「どうなったら痛みが治まるんですか?」
👩‍⚕️「赤ちゃんが降りてきたら治まるよ」
(そうか、赤ちゃんが降りてきてくれれば終わるんだな。赤ちゃん、降りてこれてるかな。もう死んじゃってるけど、今は苦しくないかな・・・)
 
赤ちゃんが降りてきたら痛みが引くと言われてから、わずか1,2分だったと思う。
スッと痛みが引いていく瞬間が訪れた。
「あれ・・?痛くなくなりました。」
あまりに急なことだったので、
「気持ちの問題とかってありますかね?」と旦那が聞くと、
「いや、気持ちでどうにかなるもんではない。」と助産師さん。
しばらく待って助産師さんが、「そろそろ次の波が来てもいいころだけどね・・・なかなか来ないから、もう少ししたら分娩室に行こうか。」と促してくれた。
 
また1分ほど経っても痛みの波が来なかったので、移動しようとしていた時、尿意がありトイレに行きたいと伝えた。
立ち上がるとかなり貧血を起こしており、2人に支えられながらトイレへ。
もう陣痛の痛みはなく、不思議に思っていた。

トイレに腰かけて用を足した後、
大きなレバー状のものが出ていく「どぅるん」という感覚があり、「ボチャン・・!」と音を立ててトイレに落ちていった。
 
「赤ちゃんが出ちゃったかも…!」と思わず声をあげた。
「大丈夫よ、あとで私がトイレの中を確認するから落ち着いて。貧血もあるからゆっくりベッドに戻ろう。」
助産師さんは慌てずに私を部屋まで連れて戻してくれて、ベッドで寝て待つように言われた。
 
やっぱりもう痛みはなかった。
「さっき多分赤ちゃん出たと思う。まさかトイレでなんて思ってなかった・・・」
痛みがないので旦那と話す余裕があった。
この時点で、23時55分ごろ。日付をまたぐギリギリだった。
 

8月21日(水)0時「赤ちゃんはいない。最後の辛い処置」

助産師さんが部屋に来て、「手術室に行きましょう」と言った。
「さっきのは赤ちゃんだったんですか?」
「今ね、先生にも確認してもらってるところ。お腹をエコーでも見てもらうのと、かなり出血したから今から点滴して栄養剤を入れるからね。旦那さんは部屋で待っててください。30分くらいはかかると思う。」
 
え、30分も手術室で処置があるのか・・・もう痛いのは嫌だな・・・と思いながら、手術室に向かった。
 
手術室は、これまでの産婦人科らしい暖色系の色合いの部屋とは異なり、無機質な部屋だった。
固い台の上に寝て、左手は点滴のために太い針を刺されたうえでベルトで固定され、右手は血圧を測る装置がつけられてベルトで固定され、足はМ字に開かれた状態で、私はただ天井と無影灯を見上げるしかなかった。今までで一番「恐怖」の感情が強かった。
 
しばらくして先生が入ってきた。
助産師さんに対して、「もうほかには無いよね?」などと確認していて、
助産師さんは「黒い袋に入ってるので全部です」などこたえていた。
なんとなく、「ああ、私たちの赤ちゃん、見つからなかったんだな。」と察した。
この日の時点で亡くなってから約3週間。後期流産が分かったときにも、もう2週間以上経過していてふやけていると言われていたので期待はしていなかった。だからそんなにショックは受けなかった。
 
「今から、おなかの中に何も残っていないか確認します。」
 
経腟エコーをされて、「少し残ってるね・・」とのこと。
これから残った胎盤を取る処置をするといわれた。
助産師さんが、「眼鏡外しますね」と私の眼鏡をはずした。
眼鏡が壊れるほど暴れるような痛みってことか…?と、痛みに対して恐怖が強く、「痛いですか?」と聞いた。
「痛いけど、陣痛よりはマシだよ」と先生は答えたが、すぐにその言葉を裏切るほどの痛みが襲った。
陣痛とはまた別の種類の、子宮の中を突き刺されるような痛みだった。
助産師さんからおなかの上からもエコーで押されながらの処置だった。
「痛い・・・痛い・・」もうほとんど体力は残っていなかったが、声を上げていた。涙が出なかった。
 
こんなに痛い思いをすることになるなんて、正直、また妊娠するのが怖いかもしれない。子どもを持たずに、旦那と2人で生きていくというのも良いのかもしれない。
手術台の上で痛みに耐えながら、そんなことを考えていた。
 
「もう少しで終わるからね…最後、消毒してタンポン入れておくからね…はい、終わり。頑張った。」
 
やっと終わった…
痛すぎて疲弊していた。涼しい部屋で、おなかから下が丸出しだったのでかなり寒かった。
 
先生からその場で説明が始まった。
「今、お母さんの体にはもう何も残っていない。綺麗な状態になった。回復次第、次の妊娠もできる。」
 
お母さん…?一瞬、自分の母の顔が浮かんだが、先生が言ってる「お母さん」が私のことだとすぐに理解した。
「あぁ、そうか、私はお母さんになったのか。」妊娠してからずっと頭ではわかっていたことだったけど、私はまだ母になった実感がそこまで持てていなかった。自分がお母さんと呼ばれることに、まったく慣れていなかった。
 
先生は続けた。
「赤ちゃんの姿を探したけれど、残念ながら胎盤と臍の緒しか見つからなかった。おそらく、ふやけてしまって姿を見せずに流れていってしまったと思う。また戻ってきてくれるからね。」
マスクをしていたけど、先生の目は優しく笑っていた。
 
疲労で意識も朦朧とする中で、気になっていたことを聞いた。
「赤ちゃんが見つからなかったということなので難しいと思うんですが、今回の原因とかって何か手がかりはあるんでしょうか。」できれば聞きたいと思っていたことだった。
「胎盤や臍の緒は綺麗な状態だったから、やっぱり今回は赤ちゃん側の染色体の異常だと思う。気にせず次の妊娠に進んで良いと思う。」
しっかりと検査をしていないのでもちろん確かなことは言えないと思うが、次の妊娠を望むのであれば、まずは先生の言葉を信じてみようと思った。
 
処置が終わったと一息ついたのも束の間、下腹部にまた陣痛ほどではないが強めの生理痛のような痛みが始まった。点滴から栄養剤と一緒に子宮収縮剤も入れ始めており、その作用によるものだった。
助産師さんが、「痛み止めも出すからね。まずベッドに戻ろう」と言ってくれた。手術台から降り、車いすで部屋に戻る。
 

8月21日(水)0時40分「助産師さんの涙」

部屋に戻ったものの、私は体力も気力ももう無くなっていて、旦那にも何も話せず、ただベッドに横たわった。
この時旦那は私の意気消沈したような姿を見て、「まだ赤ちゃんは出てなくて処置が続くということか・・」と思ったらしい。「全部終わったよ」の一言すら伝えられなかった。
先生が入ってきて、先ほど私にした説明と同じ内容を旦那にも話し、旦那も状況を理解した。
 
その後、助産師さんが痛み止めをもって部屋に来てくれた。
「赤ちゃん、見つけられなくてごめんなさい…私が泣くことじゃないんだけど…ごめんなさい」
ずっと明るく励ましてくれていた助産師さんが泣いてくれていた。
私たちはもともと、「見つからないかも。見つかったとしてもきれいな姿ではないだろう」と覚悟していたのでショックは大きくなかったが、
涙してくれた助産師さんを見て、赤ちゃんが見つからないことは悲しいことなんだなと理解した。
それと同時に、流産や死産が世間一般に比べれば「よくあること」であるはずの病院で、私たちの赤ちゃんを見つけられなかったことに対して涙してくれたことが嬉しいしありがたいという気持ちにもなった。

その後、痛み止めを飲んでからは痛みも治まり、助産師さんが何度か血圧の計測と点滴の確認に来てくれた。
21日の午前3時過ぎ、眠りについた。
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長くなりましたが、赤ちゃんが生まれた時のことを書きました。
出血は多かったものの母体に大きな問題は起こらず、先生にも助産師さんにも旦那にも本当に感謝しています。
 
赤ちゃんに会いたかったし姿を見たかったけれど、恥ずかしがり屋さんだったのかもしれません。
死産となってしまったことは今でもとても悲しいのですが、忘れたくない大切な思い出になりました。
 
次に、退院した時のことを簡単に書いたら、このお話はひと段落です。


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