【後期流産(死産)⑤】入院2日目 陣痛を待つ。
入院2日目、陣痛を待っていた時のことを書いていきたいと思います。前回の内容はこちらです(入院初日の処置など)↓
※破水や出血についての内容があります。当日のことを率直に書いています。
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8月20日(火)9時「3度目の処置、破水。」
一睡もできないまま朝を迎え、午前6時頃からはだんだん痛みの波が分かるようになってきていた。
せっかくおいしそうな朝食なのに、痛みでほとんど食べられない。薬を飲むために少しだけ食べた。美味しくないわけじゃないのに、残すのが申し訳なかった。
朝の診察。消毒の後にラミナリアを抜くと同時に、吹き出すように勢いよく破水と出血。
診察台の上でカーテン越しだったのでどのくらいの量が出たのかよくわからなかったが、いつも朝最初にトイレに行くときの尿よりはたくさん出たと感じた。(個人的すぎる感想…)
生ぬるい水が子宮から出ていく感覚は不思議だった。こんな水が私の体内にあったなんて、少し神秘的。破水したタイミングで痛みはなくなり、気持ち的にはかなり楽になった。
台が下がり身体が縦になると、まだ水が出てきそうな感覚。急いでナプキンのついた下着を履く。多い日の昼用をつけていたが、ナプキンから漏れてきてしまいそうな感覚があった。破水か出血かよくわからない。
助産師さんが車椅子をもってきてくれて、念のため車いすで部屋まで戻る。
部屋でベッドに寝るために車椅子から立ち上がると、大量に出血した感覚があった。
昼用ナプキンを付けていたものの一瞬で使い物にならなくなり、下着も真っ赤に染まる。
部屋がフローリングではなくてカーペットだったので汚したら悪いと思い、旦那についてきてもらいトイレまで移動。
助産師さんも来てくれて、産褥用のナプキンを渡してくれたので、新しい下着とともに装着。血まみれになった下着は洗っておきますねと回収された。
数分後、先生が部屋に来ておそらく陣痛促進剤の膣剤を入れた。(出血に動揺していて促進剤をほんとに入れていたか記憶が曖昧…)手を突っ込まれるのが少し痛かったが、ラミナリアを入れるときと比べたらマシだった。
15分はこのままの体勢でと言われた。
入院中に使用していたトイレは自動洗浄だったが、助産師さんが手動で流す設定に切り替えて「手動で流してください」の張り紙を張り、「トイレに行くたびに、自分で流さずナースコールで呼ぶように」と指示を出してくれた。
「トイレで赤ちゃんが出てきちゃう可能性もあるのかな?」「出血量を見るのかな?」など疑問に思ったが、聞かなかった。その後も、たまに痛みはあるものの、昨晩と比べるとかなり楽になり、穏やかに午前中を過ごす。
トイレに行く度にナースコールで呼んで流してもらうのが少し申し訳なかった。
8月20日(火)12時30分「子宮口開かず、4度目の処置。」
痛みがなくなっていたので、昼食はおいしくいただくことができた。辛い入院中、食事がおいしいことが本当に心の支えになった。唯一の楽しみでもあった。
昼食直後、先生が部屋に来て診察。
手を入れてグリグリされ、「これが内診グリグリってやつか・・?痛いけど器具入れる処置よりは全然マシだ・・」などと思っていたが、先生の「うーん、まだ開いてないね」という言葉に絶望。
そのまま、診察室に行くように言われた。またあの痛い処置があるのかと思うと、診察室に向かう時に怖くて涙が出てしまった。
また処置をされたが、あまり体力も気力もなく何をされたかよくわからない。チクチクしたりズキズキしたり冷たい感覚があったり、痛かったことは覚えている。なるべく力を抜くようにした。処置自体は2,3分だったと思う。
お昼時ということもあり私以外に患者さんがいなかったからか、助産師さんたちがいつもより穏やかに会話していたのは覚えている。「こっちはこんなに痛いのに…談笑しているなんて…!」とも思ったが、その穏やかな雰囲気に精神的に救われた側面もあった。
ラミナリアか何か入れられたと思ったけど、あとで助産師さんに確認したらタンポン以外何も入っていなかった。
大きなタンポンを入れられて部屋に戻り、ベッドに横になった状態でタンポンを抜かれて、再度陣痛促進剤を追加。また、15分はこのままの体勢でと言われた。
8月20日(火)昼過ぎ~夕方「気力を取り戻し、赤ちゃんへの手紙を書いて陣痛を待つ。」
このころになってやっと、「陣痛が強くならないとこの処置が続いていくということか?」と理解しはじめた。それまでは何が起きているのか・どんな処置がされているのかよくわかっていなかった。
改めて助産師さんに、この後どんな流れになるのか確認した。
「陣痛促進剤を入れて様子を見ながら陣痛が来るのを待って、陣痛が来たら耐えて、赤ちゃんが出てくるのを待つ」
目新しい情報があったわけではないけれど、きちんと説明されると今後の見通しが立った。
陣痛が怖くて嫌という気持ちから、「処置が痛いから早く陣痛来てくれ」という気持ちに変わっていき、不思議と「早く産みたい!」という気力が出てきた。
先生から痛みの具合や間隔を聞かれることがあったため、うまく答えられるように陣痛のカウントを開始。そのタイミングではまだばらつきがあり、4分~8分間隔くらいで痛みがあったが、痛みの波が来ている間も自分の状況を説明したり、今何秒経ったかを確認する余裕があった。
「このまま陣痛が強くなっていくのかな」という想いとは裏腹にだんだん痛みは弱くなり、15時過ぎくらいには軽くウトウトしたり、普通に座って過ごせる状態になってしまった。
どうすれば陣痛が起きるんだろうと旦那と考え、「赤ちゃんが私の体からまだ出ていきたくないのかな」と、心置きなく出ていけるように2人でお手紙を書いて過ごした。火葬の時に一緒に入れようと話しながら。
何もすり合わせずに書いたのに、書き出しや内容はそっくりで笑ってしまった。
2人ともこの子への感謝の気持ちをたくさん書いていた。
初めて一人称を「お母さん・お父さん」にして文章を書いたので、私たちは親なのだと再度自覚して、悲しかったけど温かい気持ちになった。
また、旦那のお手紙を読んで、子供に対してこんな風に優しい文章を書ける人と結婚してよかったなと、ふと思った。
昨夜痛みに耐えながら私が考えた赤ちゃんの名前は旦那も大賛成で、「良い名前だね」と2人で何度も呼んだ。
そんな幸せで温かい時間を過ごして待っていたものの、
なんと陣痛は弱まるばかり。
変わらず出血は多く、トイレに行ったタイミングで3~4センチくらいのレバー状の塊が出ることもあり、「赤ちゃんが出ちゃったんじゃないか」と不安になって助産師さんに聞いたりしたものの、「そんなに簡単に赤ちゃん出てこないからね。」と教えてくれた。
助産師さんに、「陣痛が来るように動いたりしたほうが良いんでしょうか?」と質問したが、「痛みが弱まってるときは体力温存のためにゆっくり横になって休んでいれば良いからね」と言ってもらえた。
調べると、母体の体力が低下していると陣痛が弱まる「微弱陣痛」になることもあると書いてあり、確かに昨日は一睡もしていないなということを思い出し、焦って負担やストレスをかけるのをやめようと思った。
8月20日(火)18時30分「夕方の診察。まだ陣痛が来ない。」
先生が来て再度診察。内診グリグリと陣痛促進剤追加。
もう一度夜に診察をするとのことで、「まだ先が長いのかな。今日中に出て来てくれると思ったのにな。」と長くなることを覚悟していた。
促進剤追加後は、内診グリグリの刺激も相まって痛みが来るものの、その後は弱まっていってしまい、痛みというよりもおなかが張るという程度になってしまった。
できることも特にないのでテレビを見て、旦那とリラックスして過ごしていた。
20日中に生まれたら翌日は旦那も在宅で仕事に戻ることを検討していたが、どうなるかわからない。結局、翌日も休むことにして、2日目も付き添いで泊まってくれることになった。
旦那はこの日一度も家に帰らず、シャワーも浴びれない状況で申し訳なかったけど、やっぱりそばにいてくれるのがありがたかった。
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入院2日目のことを書きました。
産院では助産師さんも先生も、死産や流産は「普通のこと・よくあること」として接してくれていたので、「なんで私がこんなことに」という気持ちは少し薄れて、自分の体の痛みや変化にしっかりと向き合っていられました。
不思議なことに、この日の陣痛への不安やドキドキ感は、正期産で健康な赤ちゃんを産むお母さんたちに近い気持ちだったのではないかと思います。
退院後はまた絶望感に襲われたので、周囲の支えや環境によって情緒が変化する、私の感情って単純なような複雑なような…?
もう27年も生きているのに、まだわからないことが多いです。
次は、ついに陣痛が来て出産に至ったときのことを書きます。
悲しかったけれど、大切な思い出です。