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【後期流産(死産)②】流産が分かったときのこと~病院からの帰宅後~

前回の続きです。病院から帰ってからのことを書いていきたいと思います。
前回の内容はこちらです。

入院や処置、出産の話は④からになりそうです。


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8月17日(土)14w4d 正午12時すぎ
 
「赤ちゃんが亡くなった。2日後に入院して死産となる」
ほんの数時間前までは全く想定していなかったことだ。
病院から旦那の運転する車で帰宅し、家についても涙が止まらなかった。
 

会社への連絡

帰宅後しばらく泣いてから、月曜から休みに入ることを思い出し、社用PC を立ち上げて簡易的な引継ぎを作成した。
一旦、2週間仕事を休むことになったということと、月曜以降の私の仕事のスケジュールで代理を立てる必要がある内容についてメールに簡単に記載して上司のみに送付した。
 
私は妊娠について、社内では上司とそのほか2名の同僚にしか伝えていなかった。
妊娠のことを知らない人が私からのメールを見る可能性も考え、メールの中には詳しい理由は記載しなかった。
こんな時でも最低限の引継ぎをしてから休もうという自分の真面目さや責任感には我ながら驚いたが、詳しい事情を書かずに作業的に引継ぎを作るのは辛くなかった。

その後プライベートのLINEで上司には、残念ながら後期流産(死産)になることと、入院と出産のためにまずは2週間休みをいただくことを伝えた。上司への報告の文面を打ちながら、涙が溢れる。
自分の心境などは詳しく書かず、できるだけ端的な内容にしたものの、「赤ちゃんが亡くなった」という事実を文面にするだけでも涙が出た。
上司はいつも体調を気にかけてくれたり、妊婦検診の経過を報告すると喜んでくれていた。もちろん一番辛いのは私と旦那だと思うけど、支えてくれていた周りの人たちが悲しむことを想像すると、さらに胸が痛くなった。
 
連絡を済ませてからは、また旦那と2人で悲しみに浸り、大泣きした。

旦那が泣いているところ、それも、声を出して泣いているところは出会ってから一度も見たことがなくて、お互いに相手が泣いているのをみてさらに悲しみが込み上げてきてたくさん泣いた。
「悲しいね、悲しいことがあったね、受け入れられないね。なんで私たちなんだろうね。」
その時に感じている悲しさをたくさん言葉に出してぶつけあっていた。
 

悲しい入院出産準備


また数十分、数時間、泣いてから、入院の準備をしなければと思い立った。

入院は2日後の11時だが、それより前に陣痛が起きる可能性も0ではない。
必要なものを近所の薬局に買いに行くことにした。
少し冷静さを取り戻し、購入するもののリストを作成してから向かう。
病院からの案内だけではなく、同じく入院することになった方のブログなどを読んで必要なものを考えた。
「ナプキン、汗拭きシート、おしりふき、簡易スリッパ、お菓子、お茶、ペットボトル用ストロー、ドライシャンプー、箱ティッシュ(高保湿の少し値段が高いもの)、ふりかけ」
 
ほかの人の目もあるため、泣かずに冷静に買い物を進め、帰宅した。
 
買い物から帰ってきて家で入院の準備をしていると、また涙が込み上げてきた。
妊娠が分かってから、気が早いとは思っていたけどInstagramやYouTubeで「陣痛バッグ・出産入院準備」などの投稿を見ることが多かった。赤ちゃんの誕生を本当に楽しみに待ち望んでいた。こんな形で出産準備をするなんて思っていなかった。
 
赤ちゃんに会えるワクワクと出産へのドキドキや不安を感じながら、産休に入ってからゆっくりと準備を進めるつもりだったのに、なんで今準備しているんだろう。これは何のための準備なんだろう。赤ちゃんはもう亡くなっていて、私は母親にもなれない。全く嬉しくない、何も楽しみじゃない準備。
絶望感がすごくて、涙が止まらなくなった。

旦那が私が泣いているのに気づいて部屋に入ってきて背中をさすった後、さっき買った高い箱ティッシュをもってきてくれた。それでまたその場で一緒にたくさん泣いた。
 
泣いては準備を進め、また泣いて、少し励ましあって、そんなことをしているうちにすっかり外が暗くなった。
 

明日以降の生活に向けて。実母や旦那の会社への連絡


母にも伝えようと思った。いきなり電話を掛けようかとも思ったけど、私と同じように泣くだろうと思い、出先だったら悪いのでLINEで状況を書いて、少し話を聞いてほしいから電話したいと伝えておいた。
 
20時近く、2人とも朝から何も食べていないのに、悲しみで胸がいっぱいで全然おなかがすかなかった。
何か食べようと簡単に夕食を準備して食べた。旦那は普段たくさん食べるのにその日はあまり食べられなくて、私の方がよく食べた。
 
それから、明日以降のことを具体的に考えなければいけなかった。
私は仕事を休むことにしたけれど、旦那は6日後から約2週間の海外出張が決まっていて、数か月前からその準備も進めていた。
入院が長くて6日ほどになりそうだったので数日出発を遅らせることができないかを検討し、旦那は上司に相談してみることになった。
電話で相談の結果、まずは代わりに行ってくれる人を探そうと、上司が他の方に連絡を取ってくださることになった。

上司からは、「出発を遅らせるというのが良い策に聞こえるかもしれないけど、数日後ろ倒しにしたところでどうにかなるものなのか?今は仕事ではなくて家族のことを優先してほしい」という話があったそうで、確かによく考えるとその後の私の精神面や、火葬のことなどを考えると、数日後ろ倒しにしたところで、出張で旦那が居なくなるのはお互いにしんどいだろうと感じた。
自分たちでも考えが行き届いていないところまで配慮をしてくださりありがたかった。

その後、旦那と同じチームの方が二つ返事で代わりに出張に行けると言ってくださり、旦那は出張に行かなくて良いことになった。そばにいれることになり、少し救われた気持ちになった。

会社という組織では、いざという時は支えあうことが必要になるというのは分かっていたが、まさか私たちがこのような形で支えてもらうことになるとは全く考えていなかった。
 
その後、母からのLINEの返信はまだなかったが、私も旦那も泣き疲れて寝落ちしていた。
 
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病院から帰ってきてからのことを書きました。
この日が一番ショックが大きく、一番泣いた日だと思います。
今思うと、この日に枯れるくらい泣くことができてよかったです。
気持ちを抑えず、旦那と2人でたくさん泣きました。

次は、翌日に母が駆けつけて来てくれた時のことを書きたいと思います。
入院時の処置の話などは、④からになりそうです。



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