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【後期流産(死産)⑦】無事に退院、入院よりも辛い日常。

出産を終えて、翌日に退院した時のことを書いていきたいと思います。
前回までの内容はこちらです↓



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8月21日(水)7時「退院許可が出て、死産届を書く」

部屋のノックで目が覚めた。
先生が入ってきて、出血はどうかと確認された。
寝ぼけていたが、腹痛も出血もそこまでひどくないと伝えたところ、そのまま昼頃に退院できるということだった。
8時に運ばれてきた朝食を食べ、子宮収縮剤と母乳を止める薬と抗生物質を飲んだ。子宮収縮剤は5日分処方されており2錠ずつ飲むが、痛みが辛ければ1錠ずつでも良いので処方された分を必ず飲み切ってほしいということだった。母乳を止める薬は1回きりの服用だった。
 
9時過ぎ、助産師さんが死産届をもってきて記載方法を説明してくれた。本籍や自分と旦那の名前など簡単な内容を記載した。
死産届については病院と提携している葬儀屋さんが役所への提出などもしてくれるとのことだった。
臍の緒と胎盤のみだったが火葬はできるという案内があり、その後は火葬の日取りなど葬儀屋から直接私宛に電話が来るということだったので、その場での手続きは死産届を書くのみで終わりだった。
もちろん、自分たちで葬儀屋を選んだり手続きを進めるという選択肢もあったものの、突然のことですべて対応する精神的な余裕がなく、できるだけ病院と葬儀屋に任せることにした。
色んなお別れの仕方があると思うが、お手紙を書き、赤ちゃんの名前を決め、火葬に立ち会うこと、何より今回のことを忘れずに心に刻んでおくことでしっかりと弔っていこうと決めた。
 
死産届を書いたとたん一気に疲労と眠気が襲い、少しベッドで横になった。
お会計などはまだ明確な金額が分からず、産後1週間検診の時に教えてもらうことになった。

※火葬と死産届についての補足
今回、赤ちゃんが見つからず胎盤と臍の緒のみ見つかりました。
この場合、火葬は不要となる場合が多いみたいです。
私たちも、はじめは火葬不要と案内がありましたが、その後「胎盤と臍の緒だけでも火葬したいか」と聞かれたため、火葬と立ち会いをすることにしました。
葬儀会社や病院によっても対応してくれるかどうかは異なるのだと思いますが、私たちは、気持ちの整理のためにも火葬ができてよかったなと感じています。

8月21日(水)11時「退院直後に寿司を食べる」

退院。旦那と一緒に病院を後にした。
まだまだ悲しさはあったけれど母体が無事だった安心感があり、お昼にお寿司を食べて帰ることにした。
味わって食べていたら、途中でまた急に疲労と眠気がきて、食べかけのお寿司は旦那に分けて、あがりを飲んで背もたれに寄りかかって休憩した。
よく考えたら産後12時間以内だ。外食はまだ早すぎたかもしれない。
 

8月21日(水)19時「いつも通りの世の中に向き合うことの辛さ」

家に帰ってから、4,5時間ほどぐっすり昼寝をした。
入院中は2日間まともに眠れていなかったので熟睡していた。やっぱり家のベッドは安心する。
目が覚めるともう19時頃で、外は暗くなっていた。
 
なんとなくスマホを開いて、いつも見ていたSNSを見る。
Instagramも、X(Twitter)も、おすすめとしてあがってくるのは妊娠、出産、子育ての投稿ばかり。
今までずっとそういう投稿を選んで見ていたから当たり前のことだ。
急に胸が締め付けられる想いになり、涙が出てきた。

入院中は、健康に生まれることが当たり前ではなく、流産や死産も世間よりは頻繁にある環境だった。
先生や助産師さんも私のことを「かわいそうな人・珍しい人」として接するのではなく、普通に出産をする妊婦さんと同じような態度で接してくれていた。
それに対して日常は、まるで妊娠したら無事に生まれて育っていくことが当たり前かのようで、安定期を過ぎたら妊娠報告をする人もいる。
「なんで私の赤ちゃんは生きられなかったんだろう」
入院中は抑えられていた気持ちがまた溢れた。

無事に退院し「意外と体調もメンタルも早く回復に向かうかも」と思っていたが、そんなに簡単なことではないようだ。
 
その後、家に食料があまりないので車でスーパーまで出かけた。
水曜日の夜のスーパーはそれほど混んでいない。

お腹が少しだけ目立ち始めた、妊娠5,6ヶ月くらいの妊婦さんとパートナーの男性が一緒に買い物をしていた。

数週間後の私はこうなるはずだった。
数日前に突然失われた自分の未来と目の前の妊婦さんの姿を重ね合わせ、自分のお腹にそっと手を当てた。
私の赤ちゃんはもういない。
思わず少し涙が出てしまった。

旦那が背中を軽くさすってくれて、取り乱したりせずに落ち着いて買い物を進めた。

数分後、レジに向かっているときにまたその妊婦さんが前から歩いてきた。
今度は涙を流さず、「どうか無事生まれますように。」と祈るような気持ちで、少し俯き気味にすれ違った。
他の人を羨ましく思う気持ちはしばらくつきまとうだろう。でも私と同じ思いはできる限り誰にもしてほしくない。

全てのお母さんと赤ちゃんが幸せになれますように。
 
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退院した日のことを書きました。
入院中と異なり、日常に戻るとまた新しい辛さに襲われました。
自分が後期流産となる前までは幸せだと思えていた光景が、一気に辛く見えます。この苦しみや悲しさを乗り越えることは一生かけても無理だろうなと思います。
それでも、「妊娠できてよかった。お腹に来てくれてありがとう。」という気持ちに変わりはないのです。
心がギュッとつままれるようなこの思い出を大切にして、これからも過ごしていきたいと思っています。

妊娠期間から退院日までのことを夢中で書き残しました。
このお話はひと段落ですが、これからは赤ちゃんのいない産後休暇をどのように過ごしているのかということや、その他日常の明るいお話も含めて、書くことを継続していけたら良いなと思っています。
 
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