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生きるって、それだけで。
「スープを煮込むのは、だいたい4時間ぐらいかな」。
と、さも当たり前のように話すマレーシア人のチャーさん。幼いころ、家の台所は半屋外にあり、炭火を使っておばあさんが作ってくれたそうだ。今はガスの火でコトコトと。「時々かき混ぜる程度だから手間はかからないよ」と続けたチャーさんの言葉に、一瞬、そうかと納得しそうになったけど、いやいや工程が少ないとはいえ、4時間もかけるのはやはり手間がかかっていると思う。
マレーシア料理には、このように驚くほど手間や時間をかけて作られるものがいくつもある。それもプロの料理人が、ではなく、一般の家庭で、だ。
なぜ、料理にこんなに時間をかけるのだろう。その理由として、マレーシア人はグルメな人々なのでおいしい料理のために労力をいとわない、とか、家族の人数が多いので経済的な理由から自炊で凝ったものを作る、とか、さらにはみんな時間があって暇だから、などと考える。
これらの理由は、たくさんある状況のなかのいくつかの側面であることは間違いない。でも、もしも、できるだけ正確に、1つだけ答えを伝えるとするなら、その問い自体がナンセンス、になるだろう。なぜなら長いと感じているのは、料理を作っている当人ではなく、わたしたちだから。時間の感覚は人それぞれだし、すべての事柄の理由は、当人の心のなかにあって、それは周りの人が理解するために用意されているものじゃない。
そして最近もうひとつ思っているのが、
そもそも生きるって、時間がかかることなのよね、ということ。
これは、先日読んだ『ぼくはテクノロジーを使わずに生きることにした』(マーク・ボイル著/紀伊國屋書店)の影響だ。
著者のマークさんは、近代テクノロジーを一切使わず、コンセントの無い家で、自給自足の生活を送っている。その暮らしで感じたことが丁寧に綴られている。
予想以上におもしろく、心地いいほど常識がいくつも壊された。なかでも印象的だったのは、講演会で、司会者から「作家」という肩書で紹介されたときにマークさんが感じた違和感。
マークさんは、作家として収入を得ている。一方で、生活のために薪を作ったり、野菜を栽培したり、魚を釣ったりしている。これらのきこりや栽培者であるじぶんが、作家であるじぶんより劣っているとはもちろん思わないし、むしろ、執筆にかけている時間はその他より断然少ない、と。
わたしたちは現在、お金を稼ぐことに1日の大半を費やしている。でも、本来であれば、食べるために食材を育て、狩りをし、また暖を取るために薪を拾い、明かりを灯すためにろうを作る必要がある。それらを外部の方にやってもらい、それをお金で買う暮らしているだけなのだ。
だからスープを4時間煮込むということは、シンプルに、その日を生きている、ということなのかもしれないな、と思った。
なんだか、まとまりのない内容でごめんなさい。とにかく、生きるってそれだけで大変なのだから、周りを、あなたを、わたしを労わりあって、協力して前を向いていこうと思う。
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マレーシアのスープの煮込み方でよく使われるのが「ダブルボイル方式」。水をはった大鍋のなかに小鍋を入れて、そのなかでスープを煮込む。つまり直接鍋には火をあてず、お湯で煮込むのだ。この火入れのおかげで、スープは雑味がなく、クリアな見ためで、ふくよかな味に仕上がる。写真は冬瓜と豚肉のスープ。マレーシアの屋台にて。