ダゼおじさんとのドライブデート(後編)
国道246から高速道路に乗って湘南へ向かう。
ダゼさんから質問の嵐。「会社は?」「大学は?」「学部は?」
彼の中では肩書きがステイタスになるのだろう。
「○○大学の△学科かぁ〜。良いね!」
写真と言い彼は女の子をランク付けするのが好きらしい。
「で、俺たち付き合う?」
「???」
「え、付き合うよね?同棲いつからする?」
「??????」
話が見えない。
「あれ、ごめんなさい。私そう言うつもりで会いに来てなくて、何回かデートして決めるものじゃないんですか?」
「あはははは。おとうふちゃんは騙されないかぁ〜(笑)まぁこの話は追々ね。」
騙される?バカにしてますか?私にも選ぶ権利はありますが…。と、すでに帰りたい気持ちで一杯。
湘南でのランチは何を食べるのかな?と、気持ちを切り替えてこれから行くレストランの話に。
「七里ヶ浜の崖沿いにあるイタリアンとか昔よく行きました〜」
と話題を振った所、
「あーそう言った観光客が行くような所は行かねーな。俺生まれが湘南で上手いとこ知ってるから!」
と、自信満々で連れて行って貰ったお店が「Pacific DRIVE-IN」と言う、観光客が行く海沿いのガーリックシュリンプのお店。
しかも観光客で混雑していて40分待ち…。
待ち時間もずっと「付き合う?(笑)」と聞かれて苦笑い。
お店ではカウンターレジで買ってからセルフで席まで運ぶスタイル。
「買って来てあげるね!」と優しい一面も見せつつ、1分おきに並んでいるレジの列からわざわざこちらに振り向いてウインクをされる。
帰りたい。
買って来てくれたのにこんな事を言うのは本当に申し訳ないのだが、シンプルに気持ち悪い。
席に戻って来ると、
「いやぁ、良い女連れてると鼻が高いぜ。(照)」
とのひと言。
ありがたいけれども、なんとも言えない感情。
ダゼおじさんは終始ロックオン状態で、そこから逃げるのが大変。
ランチしてドライブして解散かな、と思いきやこの後のプランもあるらしい。
「横浜で中華街歩いて外人墓地行って山下公園デートする?」
正直行きたくなかったけれど、主導権は彼にある為行く事に。
ずっと、付き合うか同棲するかを聞かれる会話にも疲れて眠いフリをした所、
「寝てて良いよ!」
と言って貰えた為、寝たフリで横浜まで向かう。
これをラッキーと捉えた私が愚かで、横浜に着いてから後悔した。
「着いたよ。」
と、彼が私の手をおもむろに粘っこく握ったのだ。
この人と一緒にいて、あとどれだけ我慢が必要なのだろうか。
もうこの散歩の後は断ろう。絶対に帰ろう。と心に決めて、長い散歩へ出発した。
日も落ちかけて肌寒くなり会話も無くなった頃に、
「そろそろ車に戻ろうか?」
となった。安堵である。
「寒かったよね。自販機で何か温かい飲み物買ってあげるよ。」
と、言ってくれたのでほうじ茶を選ぶ。
ゴトンっ
と落ちて来た温かいほうじ茶。
「あ、待ってね。取ってあげる。」(流石に全ての語尾にダゼは付かない。)
と、ダゼおじさんはペットボトルを取り上げて、蓋を開け、飲み口をしゃぶる様にひと口飲んでから私に渡した。
「あ…りがとうございます。」
少し躊躇して口が付いてなさそうな場所で浮かせて飲んでみたものの、間接キスは回避出来ず、ダゼの間接キス作戦は成功した。
「で、この後どうする?表参道で車置いてディナー行く?」
「私、今日は何だか疲れちゃって…」
「じゃあ、うちでちょっと寝てから考える?(笑)」
「(え、絶対に嫌だ!絶対いやらしい事考えてる!)……やめときます〜」
「え〜(笑)残念。あ、明後日も休みって言ってたよね?じゃあ今日は帰って良いから、明後日はバレンタインだしシャンパンでも舐めながら一緒に過ごそうぜ。」
「(え、突っ込みドコロが多過ぎて困るが、取り敢えず行くって言って今日は逃げよう!)そうしましょう!」
わざわざ銀座で買った、メゾンドショコラの高級チョコレートをそっと鞄の奥に仕舞い込んだ。
直接断れず、お別れしてすぐにLINEで謝罪文を送る。
内容としては、明後日はやっぱり会いたくないし私とダゼさんは合わないと思う。初回のデートで付き合うだ同棲だの話が出て困ってしまった。2回目のデートは申し訳ないのだが無しにして貰えないだろうか。と言った内容をオブラートに送った。
ダゼさんからはレシートの様な長い返事がすぐに来た。
「押せば何とか行けると思って付き合うだの同棲だの言ったけど君には通用しなかったか〜(笑)。最近のホワイトカラー系の女子には俺は響かないのかな〜。(ホワイトカラー系の〜の下りが私には未だに理解出来ず、その先の内容も覚えていない。)云々。」
簡単に要約すると、負け惜しみつつ了解と言った内容だった。
ちょっとクセありと思っていたが、ここまでアクの強いタイプだとは予想もしていなかった。
アプリで男性を見る目がないな、と痛感した。
今までの東カレおじさんとは違った分野の方にお会いした衝撃は大きく、そこから1ヶ月程胃もたれの様な感覚が抜けず活動をお休みしたのであった。