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性の対象として見られる経験と、半フェミニズム

小学生期

初潮が来たのは4年生だった。

陰毛もその頃生えて来て、胸も膨らんで来た。

裸を見られて毛が生えてるだのと噂を流されるのが嫌で林間学校に行きたくなかった。

スポブラを買ってと親に頼めなくて、体育の時間は走ると胸が痛かった。

水着がどんどん窮屈になり、乳首がはみ出そうになるしゼッケンの上からでも乳首が透けるので、夏のプールに行くのも嫌だった。

生理で見学になるのが「私は生理来てます」と主張する様で恥ずかしくて、こっそりヨーカ堂でタンポンを買って1人で練習をした。

小学生5年には160㎝位の身長だったので、背の順はいつも一番後ろだったし好きな男の子よりも随分デカくて話し掛けるのも恥ずかしかった。

私の幼少期は、6年生まで赤いランドセルを背負って黄色い通学帽を被り、体育の時間は女子はブルマだった。

生理の時のブルマなんて明らかにナプキンがモコモコするし、パンツだかナプキンがそけい部からはみ出て「白線出てるよ」と指摘されてしまうし、仕方ないから早熟組の女の子達の間ではトップスの白い体操着を一生懸命伸ばしてお尻を隠すのが流行った。

身体は大人になりかけているのに、子供と同じ服装を強いられその姿で町を歩くのが我ながら違和感を感じていた。

本屋で痴漢に遭遇する

本の虫だった私はお小遣いで小説を買うのが月に一回の楽しみだった。4年生の頃は「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」や「ナルニア国物語」シリーズが好きで集めていた。

地元の駅前の本屋さんは、1階がミスドで2階から6階がジャンル毎に分かれて書籍が売られていた。

初めて痴漢に遭ったのは、6階の児童書コーナーで「ナルニア国物語」の何巻目かを買おうか「星の王子様」にしようか迷っている時だった。

大人の男性が通りがかりに胸を揉んで来たのである。

声も出せず驚いてその場から動けなくなった。

エッチな事をされたと言う事だけは理解出来た。

立ち読みしていた内容も頭に入って来なかった。

結局どうして良いか分からず、「ナルニア国物語」を買った。

暫くすると参考書コーナーも見るようになった。

角で受験用に役立つドラえもんで算数を学ぶ漫画を立ち読みしていると、背の高い男の人が背後から覆いかぶさり私の頭上にある参考書を取った。

その人が前と同じ人かどうかは分からなかった。

邪魔にならない様にと移動しようとすると、両足でロックされた状態で全く動けなかった。

背中には何か硬い物が当たっていた。

無垢な私はそれが身体の一部だと気付かず、鞄かな?何だろう?と感じていた。

前みたいに胸を触る目的なんだと身構え身体を小さくこわばらせた。

けれどそれ以上の事は起こらず、暫くすると男性は去って行った。

当時の私はそれが痴漢行為だと気付かなかった。


また別の時に、エレベーターの中で恐い思いをした。

6階から1階のミスドに行こうとエレベーターに乗ると、少しはげた男性が後から乗り込んで来た。

1階までのほんの10数秒の出来事である。

その男性は私の方に向いてズボンを下げると

「お嬢ちゃん、おじさんのおちんちんペロペロしてくれる?」

と頼まれた。

当時オーラルセックスの存在を知らない私にしてみたら、「なんで?」と言う疑問でしかなかったが、やはりエッチな事である事は認識出来た。

無言で首を横に振ると、「そっか。ごめんね。」とその男性は去って行った。

痴漢された当時は、セックス=男性器を女性器に入れるといった知識しかなかったが、6年生位になるとフェラチオなる物をすると男性が喜び、勃起した男性器は物凄く硬くなる事を知った。

その知識を踏まえて本屋での一連の痴漢行為を思い返すと急に恐怖を感じ、それ以来駅ビルに入っている小さな本屋で本を買う様になった。

プールがない中高一貫校

私の母校はプールが無かった。

大嫌いなプールから解放されたのだ。

入学した時に改装工事が始まり、出来上がった頃には大学受験の為プールの授業は削られていた。

男子は週に2回の体育だが、女子は週に1回の体育と家庭科だった。

体育はバレーボールを選択したが、爪が折れるのが嫌である程度ストレッチをしたら座って見学していた。

進学校なのでそれを注意する先生はいなかった。

そんなに古い世代の話ではないのだが北朝鮮の様な思想の学校だったので、取り敢えず勉強だけしてれば許された。

男女比のバランスが悪く、7:3と女子が圧倒的に少なかった。

厳しい校風もあり殆ど男子と話さなかった。

小学生の頃のトラウマもあり、男性嫌いになっていた。

学校内は安全地帯だった。

下り電車の痴漢は大胆

学校内は安全地帯であるけれど、やはり外界は危険でだった。

私は田舎の学校に通っていたので、通常朝のラッシュとなる時間帯に電車に乗っても大抵空いていた。

先頭車両を選べば運が良い日はその車両には私1人しか乗っていない日もあった。

三人掛けのいつもの席に座って朝日を見ながら川を2本渡り土手や畑の風景を見ながら通学した。

中1の頃は同じクラスの金さんと待ち合わせをしたり、途中駅にある高校に通う男の子がいたり、同じ学校の先輩らしき人が乗って来る年もあった。

高1のある朝、最近は特に毎朝見掛ける人もいないなぁと思いながら目を瞑るとうっかり眠ってしまった。

学校の最寄駅まであと半分くらいの距離といった辺りで目が覚めた。

いつも感じない小刻みな揺れを感じたのだ。

目を覚ますと誰かが隣に座っていた。

大学生か新社会人くらいの私服の男性が自慰行為に及んでいた。

まだ処女だった私は、見慣れていない男性器を目にして固まってしまった。

「初見はロストバージンの時にしたかったな」とどうでも良い事を考えた。(本屋でのペロペロおじさんはノーカウント)

そして恍惚とした表情の彼と目が合ってしまった。

電車を降りるとか移動するとか、後から考えたらいくらでも逃げる事は出来たのだが、当時の私は痴漢に負けたくないと言う気持ちが勝り、そのまま寝たふりをした。

いつの間にか彼はいなくなっていた。

混んでいるが故に遭う痴漢もあれば、空いているのに遭う痴漢もいるのだなと知った高校時代だった。

上り電車2時間の大学時代

都内の大学に合格し、ついに大学デビューと目論むも、人気の大学あるあるで、最初の1年や2年は辺鄙な所にキャンパスがありがちである。

朝6時に起きて9時の1限に間に合う為に7時前には家を出る。

中高6年間、通勤ラッシュを経験した事がない私は洗礼を受ける事になる。

痴漢も、これは痴漢か?レベルから鉄道警察呼ぶぞレベルまで様々に遭う羽目になるのだが、単位の為に遅刻する訳には行かないし、せっかく座れたこの席を痴漢の為に立つ訳にも行かないのだ。

当時流行ったヌーブラをおっぱいだと思って吊革を掴む手の肘で小突いている大学生は何だか可哀想だから見逃してあげた。

右隣に座ってるおじさんが自分の腕を、胸の前で組んでいるフリをして、影で右手で私の右乳を揉んで来たので、私も腕を組んで左手でおじさんの指をつねってやった。

「すみません。すみません。」と言いながらおじさんは降りて行った。

免疫が付いて痴漢なんてどうでも良くなった。

大人になり痴漢が恋しくなる

恋しくなるなんて痴漢被害に遭われた方や冤罪被害に遭われた方には大変失礼な発言かもしれない。

先に謝罪をする。

私はあなた達の味方である事を忘れないで欲しい。

心底痴漢されたいと言う話ではない。


社会人最初の数年は学生気分も抜けず、短いスカートやオフショルダーのブラウスなどを好んで来ていたが、30歳を過ぎたあたりから急にそんな格好が恥ずかしくて出来なくなった。

長いスカートやタートルネックばかり着ている。

そんな肌の露出する面積が少ない服装に加えて、社会的制裁がきっちり行われる世界になった事もあり、痴漢はめっきり無くなった。

あるとしたら、フライト中に機内の通路でお尻を肘でツンっとされる位だろうか。(私のお尻がぶつかっているだけかもしれない)

痴漢がないのは勿論喜ぶべき事ではあるが、たまに「もう女として見られてないのでは?」と不安になる。

幼少期からの体験が変態的過ぎて、麻痺して来ているのだ。

痴漢を恋しくなるを通り越して痴女になりかける時もある。

ここ数年は体型も変わりむちむちして来ているので、満員電車に乗り込むとどうしても前後の殿方と密着してしまう。

胸を守るとお尻が当たり、お尻を守ると胸が当たるのだ。

男性も鞄でガードしてくれると有り難いのだが、冤罪対策でしっかり鞄を棚にあげ両手を上に上げてくれている。

しかし、両手を上に上げていると身体が余計に密着するのを男性は知らないのだろうか。

お尻に当たっている物が段々硬く熱くなって行く。

背面ならまだ気まずくないのだが、向かい合っていると顔を上げるワケにも行かないので大きくなっているのが良く見えるのだ。

こんな事になるなら両手を上げずに鞄で股間を守って欲しいと思う。

何となく、興奮してくれてありがとうといった気持ちで降りて行く彼らの背中を見守るのだ。

世のフェミニストに謝罪

こんな文章をフェミニストの方々が読んだら叱られてしまう気がする。

女性が強い時代、女性が活躍する時代、女性にも平等に権利を…と、声をあげメッセージ性の強いヌード写真を出版している有名なモデルさんや女優さんには申し訳ないが、私はそこまでのエネルギーを放出出来ない。

女性である事に誇りを持って生きて来た事は彼女達と変わらない。

けれど、女性だから得て来たものも多い。

デートや告白やプロポーズは男性がするべきと言う考えは今も根深い。

男性がデート代を払い、男性が車で迎えに行くのが当たり前になっている。

現在も女性である事を武器にCAの仕事をしている。

勿論、男性のCAも活躍する時代ではあるが、お堅い世代の男性を相手にしていると、時に女性だから上手く行く事もある。

「女性なのに結婚しても活躍している」「女性なのにバリバリの経営者」「女性に優しい職場」

なんて言葉は全て、結局「自分は女性であるにも関わらず活躍してるぞー」と言うニュアンスがある気がする。

女性なのにと枕詞が付く地点でフェミニズムに反するのではないかと思う。

今の私のスタンスを表現するとしたら、フェミニズムと反フェミニズムの間、半フェミニズムと言った所だろうか。

長くなったが一体何が言いたいかと言うと、私は性の対象として見られた幼少期の変態的体験談が根深過ぎて、世のかっこ良いフェミニストみたいにはなれないけど、女性として誇りを持って生きているよ。って言う平凡な話である。

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