おばちゃんによる贈与をよりお得に活用するには
【 概要・目的 】
レポートは書いたことがなくて書き方が良くわからないので、課題が難し過ぎると書かなそうな自分がいたので普段から職場で行なわれている交換と贈与について書こうと思う。
過去に職場で物を貰った経験や、物々交換を目撃した経験をさらっていると、様々な発見があった。それぞれの交換や贈与の裏に違う意味があるのではないかと言うことに気づいたのだ。
実例と憶測を交えて贈与の目的や役割を探りつつ、「どうしたらよりお得な贈与が出来るのか」を、私の立場から考えてみる事にした。
【 背景 】
私は結婚を期に、産まれて初めて北海道を出て、茨城県に移り住んだ。
茨城県には「リタイアしたらプチ農家」的な文化があり、ガチな家庭菜園をしている人がとても多い。「スーパーの野菜、いる...?」と時々思ってしまうくらいだ。※
※北海道と茨城県にしか住んだことのない個人の感想です。
茨城県は、「暖地を好む野菜」「寒地を好む野菜」が、両方採れる微妙なラインにあり、気候も比較的安定していて、一年中何かしらの野菜がとれる。これは、家庭菜園が盛んな大きな要因だと言えるだろう。
私の職場にも、庭に野菜をたくさん生やしているおばちゃんが何人かいて、野菜をくれる。野菜を育ててない人はお菓子やおかずを持ってくる。普通に物を交換や贈与する時もある。とても物々交換が盛んな職場だ。
体験 1) 皿洗いのおばちゃんによるおかずの贈与
対象:皿洗いのおばちゃん → 皆
物:おかず (おから、ポテサラ、煮物など)
●皿洗いのおばちゃんについて
文字通り、皿洗いしかしないおばちゃんで、「繊細な作業と接客は苦手」と言い、苦手な作業はやりたがらない。
●皿洗いのおばちゃんが贈与する目的
「私は他の仕事が出来なくて、いつも皆にやらせちゃってるから」と贈与の際に言うので、これが目的で間違いないだろう。
皿洗いのおばちゃんの贈与の目的は「出来ない事が多いのを許してほしい」という事になる。
●目的を達成しているかどうか
本来であれば、同じ時給で働いてるのだから、仕事量が違う人がいるとしわ寄せがくるので、「あの人は楽な仕事ばかり選んでずるい」などと、不満を持つ人が現れてもおかしくない。
いくらおかずが美味しいからといって、本来であれば、おかずのプラス評価は、嫌な仕事をしない事によるマイナス評価をカバーするには不十分だと感じる。
しかし皿洗いのおばちゃんは、店長を含め職場のほぼ全員に楽な仕事選ぶ事を許されている。
●目的が達成できた理由
皿洗いのおばちゃんは、スキ見つけては「●●さんはすごいね~!えらいね~!私には出来ないよ~!」とでかい声で皆を誉めるのだ。(故意か無意識かは分からない)
「誉める」により、誉められた人は、自己肯定感や承認欲求を満たされ、おばちゃんに好意的な気持ちを持つのだ。これがおばちゃんのプラス評価を爆上げしているように感じた。
「おかず贈与」も「誉める」も単体では弱いが、合わさることによって、おばちゃんは目的を90%以上(※)達成しているのだ。
※一人おばちゃんの陰口を言う人がいるので曖昧な予測として90%以上とした。
結論:
「おかず贈与」+「誉める」
=「嫌な仕事をしなくても許される」
一つ一つのパンチは弱いが、「有形贈与」と「無形贈与による人間関係構築」を組み合わせる事によって呪いに相乗効果がある事が分かった。
2) 家庭菜園おばちゃんの過剰な野菜贈与
対象:
家庭菜園おばちゃん → 受贈希望者(立候補制)
物:過剰な量の旬の野菜
●家庭菜園おばちゃんについて
家庭菜園おばちゃんは、独り暮らしをしている。毎年自分では食べきれない量の野菜を栽培しては、配る。
野菜いる?と聞かれたら、欲しい!と即答する人が多いと思う。夏は家庭菜園が最も盛り上がる季節なので、気を付けないと、欲しい!と言った事を後悔することになる。
うちは2人暮らしなのに、ゴーヤ5本とか、なす20本とか、キュウリ30本とかを、毎週コンボで貰う事になるのだ。先々週、先週もふき5キロを2回ももらった。もう、しばらく毎日ふきを食べている。
●家庭菜園おばちゃんの贈与目的
おばちゃんに大量に作る理由を聞いてみた。
一応は「●●(料理)を作りたい」とか言うのもちょっとはあるらしいが、人にあげるのも目的の一つであるらしい。
買うのとどっちが安いのか聞いてみると、「種or苗代、水道代、土代はかかるが買うのより少しは安い。でも手間がかかるからチョンチョンかな」と言っていた。私の個人的な意見としては時給換算すると損をしている気もする。つまり趣味(暇潰し)でやっているという事か。
つまり、家庭菜園おばちゃんの贈与目的は「暇潰しの副産物の処理」であると言える。
●「野菜のレウス」を発見
一見、家庭菜園のおばちゃんだけが「野菜のレウス」であるようにも見えるが、実は受ける側も動かされているのだ。
このおばちゃんは貰い手が誰もいなくて野菜が無駄になりそうな時はとても悲しそうにする。これを見て「受取り役」に立候補する人もいる。
結論:
物に対して「勿体ない」と人が思うとき、その人は物の「レウス」に支配されていると思った。また、レウスは時に持ち主だけではなく、その周囲にも支配の範囲を広げる事がある。
【 考察 】
上記の体験と贈与論を絡めて、贈与を学ぶ前後の考察してみる。ややこしくなるので私と対象となるおばちゃん間のやり取りに限定する。
●皿洗いのおばちゃんのケース
贈与を学ぶ前は、「おばちゃんがおかずをくれたから自分も何か作って持ってこよう」くらいにしか思わなかった。
今はおばちゃんが高度なテクニックを使い、やりたくない事を回避している事に気付いた。
●家庭菜園おばちゃんのケース
贈与を学ぶ以前は、野菜の大量贈与は場合により迷惑だと感じていた。ハウが帰りたがるし、野菜の処理に時間も取られるし、献立が毎日同じになってしまい飽きる。出来るだけ大量受贈は回避したかった。
今は、大量受贈の回避よりも、おばちゃんの目的を果たしてあげる事で、良好な人間関係を築く事の方が大事だと感じる。贈与は人間関係を構築するためにあるんだな、と勉強したからだ。
【 結論 】
物を貰っても物を返さなくてはいけないと思わなくてもいい。「貰った物と同等の価値がある無形の贈与」が出来るようになれば、与えるよりも沢山貰う事ができるようになる。
【 最後に 】
レポートを書くにあたり、白紙さんが贈与してくれたレポート書き方がすごく参考になった。
白紙様々でした。私は白紙様のレウスです。
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