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誰かと何かをしていきたい
最近自分にはもう可能性がないなぁと思う。というのは、やりたいけどやったことのなかったことのうちのほとんどを、もうやったり諦めたりすることをやり尽くしたんだと思う。
あるいはやったことのないことも、やればきっとこうなるだろうなという予想がつくことばかりで、ある意味大枠の部分はもうやり尽くして細部にどれだけこだわっていくかみたいな所にたどり着いてしまった気がする。
でもそれは決してつまらないことではないし、別に人生をやり尽くしたという感覚もない。自分がコントロール出来るものと出来ないものの境界を整理してコントロールできる範囲へのアプローチが終わったのだと思う。
他人と自分を比べて劣等感に苛まれたり、孤独が理解されることを望んだり、他人からの承認に依存しなくなった。自己理解の大枠が終わったのかも。
これは事業をやり始めた影響が大きくて、個人事業主になったならば、自分が決めたことが全てで、それは取引をする相手もそうなので、価値さえちゃんと提供すれば、普通も当たり前も正解もないからだ。ただ、スタイルややり方が無数にあって、私達一人親方は他人のそれにちゃんと境界を設けて付き合っている。
だから、逆にこれからは人と一緒になんかやっていくのもいいなぁとぼんやりと思っている。自分が作った秩序に他人という混沌を、水たまりにでかい石を落とすみたいに投げ入れたい。
最近気づいたのだけど、直すのと同じくらい、壊すのも好きな気がしてる。例えば汚い作業着で、麻布台の千疋屋パーラーでパフェを食べたのとか楽しかった。私はこの遊びをエアーゴジラと呼ぶことにした。
特にオチはないけど、これからは誰かと何かをしていきたいという話でした。中身なさ過ぎるw