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子供を持たない人生

五月五日は端午の節句、子供の日でした。
TV番組も、子供の話題に終始していました。
端午の節句の楽しみと言えば、粽を食べることです。
五月五日は粽を買うようにしています。
もちもちした食感と、素朴な甘み、笹の香りに季節を感じます。
父の五月人形は、大将と大将の馬、子大将と子大将の馬のセットの立派な年代物なので、家族で分けて、兄宅に大将と大将の馬が、母宅に子大将が、我が家に子大将の馬がきています。その馬が、粽と一緒に写っている馬です。

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昔の品というのは、本当に丁寧に作られているものだと、日本の職人さんの技術に感嘆するばかりです。もちろん、現在も立派な人形は作られていると思いますが、需要が減っているように思うし、そうなれば良い職人さんの数も減っていくのだろうなと思うと、文化や伝統の継承というのは難しいものだなと思います。

さて、子供の日。
子供たちの人格を重んじ、幸福をはかり、お母さんにも感謝する日ですね。
私は子供がいません。授からなかったのですが、医学の力を頼ることもなかったので、ある意味、努力不足だと言われる場合もあります。
しかし、子供を熱望していなかったし、夫婦共に自然のなりゆきにまかせることを暗黙の了解としていたので、そのことに何の不満もありません。

端午の節句に食べる柏餅。
柏の木というのは神聖な木で、新芽が出ないと古い葉が落ちないことから縁起が良いとされている、と聞いたことがあります。
「新しい芽がでるまで、古い葉が落ちない」から「子が生まれるまで親が死なない」つまり「跡継ぎが絶えない」「子孫繁栄」を意味し、縁起が良いと言われる所以ですね。お正月のかずのこや、子だくさんのネズミなど、縁起物に子孫繁栄というのははずせません。
子孫繁栄と言われると、私はどことなく申し訳なく感じます。
若いころは親切心で色々ご紹介下さる方もいらっしゃいました。不思議と熱心な方は、親兄弟ではなく、知人とか少し離れた親戚の方でした。仕事で頻繁に会う方は、会うたびに「赤ちゃんは?」と聞き、なにやら霊験あらたかな水を買うように、おっしゃいました。
私は、「自然で良いと思っているんです」とはっきり言うようにしていましたが、納得しない方もおられました。
ひねくれた見方かもしれませんが、”親切心”を、優しさという仮面をかぶった一種の暴力だと感じることもありました。
様々にいなしている内に、話題にならない年令になり、静かになりました。
私は授からない事にも意味があったんじゃないかと思っています。私みたいな痛がり怖がりは、無理して授かっていたらお産で死んでしまっていたかもしれないわ……なんて思っています。


でも、自分の老後を真剣に考える年になって来ると、将来必ず他人様のお世話にならなくては、生活が成り立たなくなる日が来るのだから、ちゃんと計画を立てなければいけないと、気を引き締めています。
私が将来お世話になる他人様は、どなたかの子供さんでいらっしゃるわけです。だから、自分に子供がいなくても、端午の節句には、すべての子供さんが健全に、幸せに成長できますようと、強く祈って粽を食べています。
そして、私が将来お世話になるかもしれない子供さんを生み、育てて頂いているお母さんにも、ありがとうございます、と胸の奥で感謝しています。

なんだかとりとめのない話を書いてしまいました。

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