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人を魅了する「分かりそうで分からないモノ」
良いコンテンツとはなんだろうか。 最近この考えが頭から離れられない。
いま、僕のなかでは作り手の「幸福感」を含んでいるのが、 良いコンテンツなのではないか?と仮説を立てている。
「はじめての三国志」の編集長を 務めている石原昌光氏(@kawauso99370757)と、新企画の立ち上げの中で良いコンテンツについて数年前に話し合ったことがあった。
残念なことに、当時のことを鮮明に覚えていないが、編集長曰く、「分かりそうで分からない」 コンテンツが人に好まれると言っていたのが印象的だった。たしか、そのときに生まれた企画が『はじめての君主論』
小難しい名著を分かりやすく解説した新たな試みだったと思う。君主論を読み終えて、僕もその気持ちをなんとなくだが、共感できた。 人の感情を動かすのは「分かりそうで分からないもの」
でも、人の感情に作用するプロセスがうまく言語化できない。おかげで、僕の中で腹落ちできずにモヤモヤした感覚だけが残っていた。
数年経っても違和感を抱きながら、ルールの構築方法を模索していたら、ひょっとしたことからこの感情を紐解くヒントを得ることができた。
適切なルールがあれば、人はルールに守られ、成果を最大化できると思っている。だけど物事を放っておくと気づいたら複雑化されてしまう。
僕は常にこの過ちを犯すクセがあり、とくに仕事の面でも、気づいたら多くのルールを作ってしまっていた。
ルールに守られるはずが、ルールに縛られて、嫌気をさしてしまい逆に成果を出しづらくなってしまうというジレンマに陥っていたのだ。だから僕は、シンプルなルール設計を模索するために、ヒントを探していた。
そこで川上量生氏の『ルールを変える思考法』を手にとってみたのだが、偶然にも「分かりそうで分からないモノに惹かれる理由」を分解してくれていたのだ。おかげで、心のモヤモヤを晴らすことができた。
著書には「分かりそうで分からないに惹かれてしまう」理由は、人間本来に備わっている『生存本能』がそうさせているのではないか?と見解を述べている。
「分からないものを分かろう」とする欲求は生存競争に必要であり、古代の人間から現代人の僕らにもこの生存本能が遺伝子に深く刻まれている。
この生存本能を利用し、どうすればコンテンツや作品に落とし込めるのかを考察すると、よりこの感情を理解できるのではないか?
また、自分たちが作り手に回った場合、うまくこの作用を作品に組み込むことで、注目を浴びる作品やコンテンツを作れるのではないだろうか。
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