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こだま行方不明
こだま、小学6年生。常日頃から長女の聡明ぶりに一目置いていたユタカは、こだまと横浜駅西口で落ち合う、という計画を突然提案した。横浜駅に一人で行ったのは一回しかなくね?的な微妙な空気は漂ったが、計画は粛々と進んでいった。
この提案には大きな誤算が2つ潜んでいた。1つは、子供と大人の距離感覚が違うことに、誰も気づいていないかったこと。携帯もない時代に、小6の子供が、自宅から「ほんの2回目体験のA地点」へ行って用事を済ませた後、「1回も行ったことのないB地点」に移動するなんて、かなり高度な待ち合わせ。ざっくり言って、「ほとんど知らない場所から、全然知らない場所に向かう」という、けっこうな無茶ぶり。
ちょうどいいじゃん、横浜にいるんなら?的な、効率重視の大人目線の提案は、長女を高く評価してた父親の目には、ごく簡単なお題に映った。そんでもって、父親のこの提案に、こだまもいつものごとく素直に反応した。素直と言えば聞こえはいいが、実際のところは質問や説明が面倒で、聞かれたことはいつも「はい」と答える、こだまであった。
さらに、もう1つの誤算は、ことのほか大きかった。実はこの時、こだまは待ち合わせのB地点がどこなのか、はっきりと分かっていなかったのだ…。 聞かなきゃ、やばいだろ~ぃ。てか、大人たちのフォローはないんかい。こだまの心は、「とりあえずは何とかなるだろう、だって、横浜は1回行ったことあるもん」という、なんとも危なっかしい自信に支えられていた。
そして、とうとうその日その時がやってきた…。
横浜駅西口についた途端、こだまはすべてを理解した。「横浜って広い。うちの駅とは違う…。ここから私は、B地点まで移動しなきゃならないのか...。あ、Bってどこだった?」唖然としつつも、脳みそをフル回転させ、たまたま目に入った赤電話で家に電話をかけることを思いつく。やっぱり優等生。「お母さんに、どこに行けばいいか聞こう。いま自分が赤電話の横にいる事を伝えよう。私はここから動いちゃだめだ」。
そう決心して赤電話に10円玉を入れて電話を掛けるこだま。でも、誰も出ない。そりゃそうだよ。だって、みんな出かけてる。なんてったって、家族のお出かけだもの。時間を置いて何度もかけてみる。でも、やっぱり誰も出ない。繋がらない。
辛抱強く、赤電話からの電話を繰り返し、数時間が経過しただろうその頃、ようやく電話口から声がした。
「んもう!!いまどこにいるの? えぇ?! モアーズ? 東横線!?なんでそんなとこにいるの!!! 〇〇にいなさいって言ったでしょ! どうしてそこにいなかったの、会えないじゃない、心配したじゃないのぉ!」
やっと電話は繋がったが、まくしたてるヨーコの声に、怒られてしまった…と、こだまは思った。「〇〇にいなさいって、場所の指示はあったのか...」。そして、まだ横浜駅にいるらしいユタカに現在地を伝達するとのことだった。怒られてしょんぼりしつつも、ただひたすら赤電話のダイアルを回すという修行のような数時間から解放され、一気に物語がクライマックスへと向かう気運を感じたこだまは、とにかくほっとした。
「そこから動いちゃだめ」というヨーコからの念押しの末に電話を切ると、しばらくして父親が東横線とモアーズの連結部分の赤電話、つまり、ひとりぼっちで家族を待ち続けた「本日のこだまだけの待ち合わせ場所」に姿を現した。そして一言。
「こっこは分かんないわぁ~」。
オヤジの雷が落ちると覚悟していたこだまは、この第一声に肩透かしを食らう。そして二人は家路についた。
家に着くと、「んもぉ~、心配したじゃないのぉ~、みんな横浜駅まで行ってそのまま帰ってきたのよぉ~、無事でよかったぁ~、でも危なかったのよっ!!」と、ヨーコがまくしたてる。やっぱり怒られたなと思うこだまの横で、ユタカはぽつりとつぶやいた。
「あんなところにひとり、2時間も動かずに待ってたなんてすごいよ」。
出来もしないのにやれると過信するユタカ、出来もしないのにやれると言っちゃうこだま。詰めが甘いまま平常運転をしてしまうところは、この二人案外似ていたのかもしれない。ともかくも、単なる家族のお出かけは、とんだ行き違いの結果、スリリングな展開の末に幕をおろした。
*備考:
どちらかというと「厳しい父」というイメージが強かったので、ユタカがこんな場面でもおおらかに対応していたことに驚く。結構いい奴じゃん、と思ってしまった。