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ステレオタイプの共感

「食事が来たので、食べに行きましょう!」

彼は脳梗塞で入院していたが、すでに病状は安定している患者。
しかし最近、食欲がないと言って、ほとんど食事に手を付けない。

「どこか具合が悪いですか?」
「食べないとリハビリ頑張れませんよ」などと声をかけるが、聞く耳を持たない。

「みんなと一緒に食べれば、つられて食べるようになるのではないか?」
受け持ちの看護師は、病室からデイルームに彼を誘い出すことを考えた。
その日も、なんとか食事を促そうと粘ってみた。

そのうち、お昼の交代時間になってしまった。
そこで、休憩から戻ってきた私が説得を引き継いだ。

「病院の食事って、味が薄くて美味しくないですよね。」

私は彼に共感してみた。
普段から濃い味に慣れていると、病院食の塩分制限はきついからだ。

彼はしばらく考え込んでいたが、おもむろに口を開いた。

「早く退院したい…」

食べ慣れた家庭の味が懐かしくなったのだろう。
「早く家に帰って、奥さんの手料理、食べたいですよね。」
さらに共感してみた。

彼は言葉を続けた。
「ちょっと外出させてくれないかい?レストランに食べに行きたい。」

「病院の食事より、やっぱりレストランの食事の方が美味しいですよね」
どうして、「外食」なのだろうかと不思議に思ったが、なんとか共感しようとした。

しかし、どれも的外れな共感だった。

実は、彼の近所には長男一家が住んでいる。
そして、週末にはファミリーレストランで一緒に食事をするのが恒例イベント。食事代はたいてい彼が持つことになっていた。
しかし、そこで繰り広げられる、子どもや孫たちの近況報告を聞くことが、彼の一番の楽しみだった。

彼にとっての食事は、それらの記憶と分かちがたく結びついていた。
家族の団らんを奪われた寂しさの中に彼がいることを、誰が気づいていただろうか。

「飯でも食いに行くか!」
ひとしきり彼の話を聞いていると、突然彼の方から身を乗り出してきた。

私たちは患者に共感しなければならないと教わってきた。
しかし、看護師はステレオタイプの共感で満足しがちだ。
だから、患者の思いなんて、そう簡単にわかるわけがない、と思っていた方が無難なのかもしれない。
その方が、無心になって患者さんの話に耳を傾けることができる。

「あら、○○さん食べてる!」
休憩から帰ってきた看護師がデイルームにいる彼に驚いた。

「どうやってデイルームに誘ったの?」

「まあね~」と、したり顔で私は答えた。

しかし、食べなかった本当の理由が分かったことが、何よりも私は嬉しかった。

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