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恋結ぶ一輪車

「古文なんか勉強して何の役に立つんだ。」

高校生の頃にそんなことを考えていた。

読者の中にも似たようなことを感じたことがある人は少なからずいるんじゃないかと思う。

別に古文に限らず、使いどころがよく分からない理科の実験とか、マニアックな建物の地図記号とか。

私はこういう『方向性の間違えた努力』も報われない努力の一つだと考えていた。

今回はそういう話。


小学校4年生。

親の仕事の都合で引っ越すことになり、全く新しい土地での学校生活がスタートした。

初めは騒々しいクラスの雰囲気に気圧されて縮こまっていたが、班活動や休憩時間で隣の席の海斗に話しかけてもらったことから次第に慣れていった。

放課後には海斗が住んでいる団地の公園でよく遊ぶようになった。

他にその団地の女の子3人も一緒だった。

小学生の頃なので男女でさほど身体能力の差はなく、遠慮なしに全力で鬼ごっこなんかをして遊んでいた。
遊具が一つしかないこじんまりとした公園で。


そんなこんなで5年生になった。

小学校とは残酷なもので、学年が上がってクラスが別々になった瞬間、白紙に戻ったかのように交友関係が途断える。

それに私は転校してきたばかりの身でいつもこちらから団地に行っていたので、関係が気薄になってからは億劫になり、一緒に遊ぶことはめっきり無くなってしまった。


話相手もおらず暇になったので、学校に置いてある一輪車の練習を始めることに。

今になって考えてみれば、一輪車をこげるようになってもめったに乗る機会は無いし、小学生が使う乗り物の中でも自転車やスクーターに比べてぶっちぎりでダサい。
練習する旨味は大して無いように思える。

それでも当時の私は、一輪車に乗ることに憧れを抱いていた。物好きだった。

ただ物好きなのは私だけではなかった。
私と同じように2人ほど、朝早くから登校し一輪車の練習をしてる奴がいた。

同じ志を持つ者達が通じ合うのに、そこまで時間はかからなかった。
偶然にも2人ともクラスが一緒だったのもあって、すぐに仲良くなった。

友達ができたのだ。

それだけじゃない。

私が毎朝一輪車の練習をしている姿を、去年団地で一緒に遊んでいた女の子のうちの一人が見てくれていたようで、ある日の帰り道に告白を受けた。

恋人までできたのだ。

放課後に手を繋いで帰ったり、彼女の家にWiiをしに行ったり、ちょっと冒険して校区外のマックに行ったりした。
どれも甘酸っぱい思い出だ。


今あなたがしている努力がもしも、方向性の間違えたものや望まない結末を迎えるものだったとしても、その努力自体を誰かが見ていたり、他のことで活きたりすることで、別の形で報われることは十分にあり得る話。

今頑張っていることで先の見えない不安があっても、迷わずに突き進んで欲しい。



あの頃の一輪者のように。











(このnoteはフィクションです。)

甘酸っぱい青春過ごしたかったぁ。。。

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