幹があって、可能性の枝葉がある
変わらないものの方が不思議だと、いつの頃から思うようになった。
同時に、人は簡単には変わらないよという言葉に反発心を覚えるようになった。
何を軸にして生きるかはそれぞれ。
だけど、自分の価値観以外を全て跳ね除けるような言葉の強さに私は「なんで」と思ってしまったのだと思う。
変わらなくていいと思っていたし、矛盾するようだけれども、結局人間の本質は変わらないよねというのは、正直今でも思う。
最近見た映画で、改めて「変わらないものなんてない」ということを深く考えざるを得なくなった。そして、私が以前感じていた反発心は、「個人の本質」の話ではなく「世界の動きや状況の変化で考えを改める、もしくは変えてゆく」ことができない人に対してのものだと気づいた。
自分の信念は貫いていい。だけど、考えることもせず全てを跳ねつけてしまっていいのか。ある意味の思考停止は本当に自分を救うのかな、とか。
これを人にぶつけてしまったら、ただのお節介だよね。
“変わってゆくものについて考える”
これは私が、この先も考え続けていくだろうテーマの一つなのかもしれない。
生きる価値、生まれてきた価値。そんなものはもう考えなくなった。
だけど、自分が生きるこの時代、この世界のことについては考え続けていきたいと思う。
なーんて、ちょっと映画の影響を受けすぎかしら……。
でも、私の人生でこの作品と出会わなかったことを考えたくないくらい大好きで、大切な作品。多少の影響は致し方なし。
別に考えなくてもいいことを、考えない方がストレスなく過ごせるようなことを、あえてただの一般人である自分が考え続けることに、きっと意味なんてないでしょう。
だけど、作中の主人公のように世界を変えるような力にはなれなくても、この世界でなんとかして生きようとしている自分自身を支える、という視点からしてみれば、意義のあることだと思う。
世界について、なんて大きすぎて手に負えない。でも、「自分を取り巻く世界」という本当に小さなサークルの中から考えていけば、それでいいんじゃないかな。
考えなくてもいい。でも、考え続けることで見えてくるものもちゃんとある。
どっちも大事。
ゆるりゆるり、のらりくらり。
おしまい
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