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私にとってのテーマパーク
初めて行くスーパー、とりわけ大型スーパーというものは、ある種のテーマパークのような面白さがある。
子供の頃にはじめて行った、世界的に有名なテーマパークとさほど遜色がないほどと言っても過言ではないと思う。
入店し、視界いっぱいに陳列された商品が広がる光景を目にすると、不思議と胸が踊るのである。
でも、どうしてそんなふうに感じるんだろう?
料理やお菓子作りが好きな子どもだったからだろうか。
改めて考えてみると、おそらくこれらは要因の一つではあるけれど、確信をつくものではないと思う。
山と畑ばっかりの田舎で生活をしていた学生時代、自分の意思で遠出はできなかった。どこかに行きたいと思ったときに、気軽にどこそこへ行きたい!と言うのが憚られるくらいの田舎に住んでいた。
親には仕事があり、家事もあり、疲れている。もちろん私自身も学業に部活があった。
とくに高校生以前の私が町に出るには、週末を待つ必要があった。
そんな環境だからこそ、家から車で30分かけて行くスーパーは「お出かけ」の一種だったように思う。
地元には昔ながらの酒屋や、駄菓子やほんの少しのチルド食品が並ぶ商店、少し規模が大きいところで農協があるくらいだった。もちろんコンビニなんて便利なお店はない。娯楽施設もなく、家以外で遊ぶなら外を駆け回るしかない。
だからか、スーパでさえ私にとっては楽しい場所だった。
大きなスーパーにはこんな商品があるんだ!これでアレが作れるな、アレを作ったら楽しそう、おいしそう……と、陳列棚の端から端まで眺めながら妄想を膨らませるのが楽しかった。
ちなみに田舎特有で、町のスーパーは軒並みどこも敷地面性が大きく、店内は広かった。中には複合施設みたくなっていて、ご飯を食べるところもあれば、生活用品、薬や化粧品、充実したゲームコーナーまであった。スーパーへ行けば、子どもには充分なほどの娯楽性を手に入れることができた。
そういった点が、スーパーをテーマパークたらしめていたんじゃないかと思う。母と手を繋ぎなら食品売り場をまわったの、楽しかったな……。
そんなほとんど楽しい記憶で占められているスーパーだけれど、残念なことに楽しい記憶ばかりとはいかない。
今思い出しても苦しくて、生涯トラウマだと思う記憶もしっかりと刻まれた場所なのだ。
その昔、私は拒食と過食を経験した。
原因は間違った知識でおこなった過度なダイエットと、学生生活への莫大なストレスだ。
日々が痛いほどに辛く、強迫観念から苛立ち、笑うという行為から遠ざかった。母には多大なる迷惑をかけた。とくに拒食期のときは母を私の生活基準に巻き込んでしまい、自分のみならず、母の精神を大幅に削ってしまったと思う。
じゃっかん話が外れたけれど、楽しいはずのスーパーに苦い記憶が刻まれてしまった理由は、過食期のほうにある。
確か高校1年か2年の時のことだ。
買い物に出ていた町に、新しく大型スーパーがオープンした。そのとき私はちょうど最も強い過食衝動に翻弄されている時期だった。なぜか私の過食症状は、お菓子にのみ集中していた。
それの何が問題だったかというと、オープンを迎えたその大型スーパーは、異様にお菓子売り場が広かったのである。
それまで見たことのなかったお菓子が山のようにあった。見たことも食べたこともあって、美味しいとわかっているお菓子の大容量版があった。
いろとりどり、多種多様なお菓子の陳列棚を見た時の、あの妙な高揚感は今でも忘れられない。高揚感の中に、経験したことのないような恐ろしさが含まれていた。
私にとってスーパーはテーマパークであるのだし、ましてやオープンしたばかりのスーパーだ。もちろんのこと、お菓子売り場以外もハイテンションで見てまわった。
でも最後におとづれたお菓子売り場だけは、瞳孔が開き切った状態で見てまわっていたような気がする。変な心臓の鳴り方をしていた。
お小遣いの使い道はしっかり決めるタイプなのが、私という子どもだった。漫画や小説にお金を使うことはあれど、お菓子にお金をかけるなんてことはしたことがなかった。
なのに、その日、私は自分の少ないお小遣いから、総額1500円ほどの買い物をした。
全てお菓子。
当時の私にはあり得ない買い物。
お菓子に大金をかけて心臓がバクバクしていた。
そしてそれらを、たった一夜にして食べ尽くした。
泣きながら。
一人で部屋に篭り、誰にも見られない環境で、泣きながら食べた。
もう食べたくないと思うのに、泣きながら食べていた。自分の部屋に鏡がなくて心底よかったと思う。あんな獣みたいな自分の姿を、見なくてすんだのだから。
こうしてエッセイを書いている今でも、記憶から消したいくらいのやるせなさが蘇ってきて涙ぐんでしまう。それほど、あの晩の記憶は私を苦しめ続けている。
……とまぁ、暗い話はこれくらいにしておいて、何が言いたいかというと、そんな酸い甘いも経験している「私にとってのテーマパーク」は、大人になった今でも、幸いなことに楽しい場所であることには変わりないということだ。
初めて行くスーパーに対する胸が踊る感覚は、幾つになっても薄れやしない。
そしてそれと同じくらい、大人になった私には変化も起きていた。
なんと、「私にとってのテーマパーク」が「ただのスーパー」になりつつある、という驚愕の(!)現実に直面しているということだ。
大人になってから、スーパーは楽しい場所ではあるものの、夢の国なんかではなく現実を1番実感しやすい場所かもしれないと悟ったのだ。
母が「これは高い、あれは高い」と話していた本当の理由がわかってしまった。それはただ相場より高い安いの話ではないのだと。
私は一週間に使う食費を明確に決めているタイプなのだけど、そうすると買いたくても買えないものがたくさん出てくる。
料理には使わないけど、漬物が食べたいなぁ……。いやいや、漬物を買ったら、卵が買えないわ。
といった具合に、300円ほどのものが買えないのだ。
そういうことを繰り返すうち、必要なものを最優先で買うことが当たり前になり、ただ楽しかった場所に葛藤が生まれるようになった。
母が「高い!」と切って捨てるように何度も口にした言葉を、私も心の中で思っている。
そういうことを繰り返すうちに、スーパーに対してワクワクする心がどんどんすり減っていった。そして悟った。スーパーは1番現実を感じる場所であると。
……とはいえ、テーマパークが「ただのスーパー」になりつつある理由が、悟ってしまったから、の一点だけでもないと思う。
子どもの頃は町に出る方法が母に車を運転してもらう以外になかったけれど、上京してからは徒歩圏内にスーパーがある環境が当たり前になった。
自分の意思で、自分の足で、いつでもスーパーに行けるようになった。つまり、レア度が下がったのだ。もうスーパーは、ある種の「お出かけ」では無くなってしまったんだろうと思う。
日々に追われていると、スーパーがテーマパークか否かなんて、いちいちそんなことで立ち止まったりしないけれど、こうしてあえて足を止めて考えてみると、なんだか惜しい感覚を失いつつあるのかもしれないと感じる。
こういうことが大人になった証だとは考えたくない。
それにまだ私には希望が残っている。
それは不確かで、困難な未来にあって、たどり着けるかもわからないけれど、未来に希望が残っている。
だってこうは考えられないだろうか?
今よりもお金に余裕があれば、ただのスーパーも、またテーマパークになり得るかもしれない、と。
ないものを望むあまり、見えているのは幻想なのかもしれないけれど。
それから、新たな土地での出会いも希望だ。
住むエリアが変われば、行ったことのないスーパーと出会える可能性も出てくる。そうしたら、胸踊る瞬間もまたおとづれるかもしれない。
きっと、大人には大人のスーパーとの向き合い方があるんだろう。
だから私は、現実を悲観しすぎず、ただのスーパーも受け入れつつ、いずれまた出会えるかもしれないテーマパークに思いを馳せていればいいんじゃないかと思う。
入園無料のテーマパークを、これからも自分の楽しみの一つにして、日々を粛々と暮らしていけばそれでいいのだ。
おしまい