憂いは燦々と

GWは何をしようかな?

確かに昨日までの私には、そう考えるだけのわずかな気持ちの余裕があった。

帰省はしない。同居している妹は帰るので、束の間の一人の時間。
おそらく気力を回復させるだけで精一杯だろうなとは思うのだけど、休みにしかできないことをメモ帳に書き出したりしていた。

映画を観に行きたいな。
気になってたパン屋さんにも行きたい。
小説も書きたいし、読みためている本も読みたい。
何より、献立を気にして料理を作らなくていいのはラッキーだな。

でも、仕事や日々ぽっぽっとうまれては漂う鬱々とした感情にクタクタになっている現状では、やりたいことを書き出したところでワクワクすることもない。GWまであと数日は仕事に行かなくてはならないわけだし、その先の休日のことなんて考えられるわけもないのだった。

そうは言っても、多少寝不足になったり体調が悪くても、「休みが控えてるしな」と思えば少しは気分が軽い。

とりあえず映画には行こう。あとはそれからだと思い、際限なく覚えることが湧いてくる仕事を粛々をこなす日々。

あと少し、あと少しで休みになる。気力はスレスレ、仕事にも身が入らなくなってきたし、食事の用意も辛くなってきた。あと少し、あと少し……。

長い休みの前はこんな風に張り詰めていた気持ちが少しずつ綻んでくるからこそ、休み明けが辛くてぼーっとあらぬところを眺めてしまうのかもしれない。
一度綻んだものを繕うのは、随分と気力を使う。また使い物としての形にはなるけれど、真新しい頑強さにはほど遠い。

骨みたいに傷を負ってから強くなるパターンもある。だけども、大体の場合はそれまでを超えてゆくことはできない。
せいぜいできることは、新しい形になったのだと認識して、その形で日々を過ごしていくことくらい。

諦めたことがいっぱいある。これからもさらにそういうことは増える。隣の人よりも早いスピードかもしれない。
だけど、どうにかなってゆくし、最終的に帳尻は合ってゆく。

だから、急遽GW中に引越し先を見つけなくてはならない事態になっても、ちゃんとどうにかなってゆく。
気力を回復させることは困難になったし、借金だって増えるけれど、帳尻は合ってゆく。

大丈夫。

この記事を書いている現在、配管が詰まり水回りが一切使えないけれども、大丈夫。

強がりなのかと自分に問いかけてみる。
でもどうやら違うみたい。
たんに諦めだろうか。
どちらかといえば、こっちが正解みたい。

まあいいや!
ご飯が食べられて仕事前に仮眠ができるならば、今日の私はオールオッケー!

物件探しの隙間に少しでもGWを楽しめたらそれでよし。
天気にも恵まれたらなお良し。

どうにかなる!

では今週はこれにて。
おしまい!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?