音楽と映像のmix文化の違いについて【音楽編】
まえがき
みなさんこんにちは。ずっと音MAD作って生きていたい人です。
だんだんと記事を書くことに慣れてきました。
(( ここだけのヒミツ、私も音MADを作っているのですが ))
やはり音楽と映像両方つくるのは大変ですね。
200本とか投稿されてる方。本当にすごいです。
さて、今回は実際に音MAD界隈の端くれの私が、「音MAD界隈にいるだけではわからないよなぁ。」と感じていたことの一つ。
音楽と映像のmix文化の違いについて、記していこうと思います。
(※この記事は前編となります。)
そもそもmix文化とは?
結論から言えば、他人の著作物から素材を切り貼りするということだと思ってもらっていいと思います。
これは音楽が映像よりも早く実践されていました。
音楽におけるmix文化
(※まだ勉強中だから間違えていたら教えてね!)
時代は1970年頃のアメリカ。DJと呼ばれる人たちが、曲と曲を繋ぎ合わせ編集するということがありました。
そこからヒップホップの時代に、いわゆるサンプリングとして確立しました。
そのため、著作権に関しては映像よりも規制が激しくありません。
黙認という暗黙の選択肢があるのです。(※しかしアメリカでは有名な訴訟事件もありました。)
日本では、著作権よりもむしろDJ達の会場となるクラブなどの場が風俗法によって規制された歴史の方が印象的でしょう。
音MADの作品例①
音MADも、この流れを踏まえていたものがあります。
最近の音MADの選曲はボカロや邦楽が多く見られますが、
時代を少し遡って2008年頃くらいには、音MAD作者同士が集まって。
ネットレーベルからレコードを出す。
ということがありました。
中でもqwerty氏のNamagusa Monkはサンプリング特有の「ネタ」が感じられます。
これを機に元ネタを探してみては…!
まとめ
レーベル
レーベルレコード
音楽にゆかりがなかった私は最近になってこの言葉を知りました。音楽好きの方からしたら「ウソだろ!?」と驚愕されそうですが、本当です。注釈つけときました。
こうした用語を使うあたりに、サンプリングミュージックの流れを意識して作られたということが分かりますよね。
今では合作が完全に主流ですが、ひとりひとりが完成した音源を持ちよるのも一興。参加してみたいなぁと思いました。
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