ヘヴン/川上未映子
読んだ記憶が新しいうちに感想を文字にしたかったけどあまりに衝撃的でボーっとしたまま数日が過ぎてしまった
読んだ後、色んな人のレビューをネットで探してみたりしたけどコジマのあの執着に共感している人が少ない印象を受けた。でもわたしはコジマの気持ちが気持ち悪くなるほど分かった。
コジマの生い立ちからして多分精神的な心の地盤はかなり不安定で脆くてきっとこの話の時点ではコジマは普通じゃなかった。父親の汚れを背負って生きる、これがしるしだという言葉から彼女のさみしい心が見え透いた。今にも壊れそうな心を、同じような境遇な人間を自分に寄りかからせたり、体の汚れを塗り重ねることによって補強していた。同級生から虐められることすら、自分の微かに残った強さを無理やり引き出すきっかけにしているかのようにも見えた。その歪みこそコジマの人生で、虐める女子生徒達は得体の知れないその歪みを恐れ、その恐れを覆い隠すように嘲ったんだと思う。そんなふうに普通の人間に見えて、ふいに見える小さなこだわりや思考回路、言動から歪みの漏れてしまう人間は多い。みんなそうやって自分の中で歪んでしまったものは外に出さないことが多いし、それが常識だとされているけれどたまにコジマみたいに表に出す人がいる
その点で言うとなぜ僕、はあんなにされるまで死にたい、とか自殺しよう、とか考えなかったんだろう。家族的な境遇も悪くはなかったけど、ただ斜視だというだけであの虐めは酷かった。でも本人は鏡を見ないとか普段から目について考えないとか自衛をしてうまく自分と付き合っているように見えた。僕、は小島と違って強い。そう思った。
同じようにいじめられていた僕と仲良くなって支え合い依存する関係になることで安心感を得て、僕を縛り付けていたコジマは僕よりもっともっと弱い。コジマはもうあの学校では心が生きていなかった。生きてはいたとしても、死にかけていた。きっとどこかへ行ける、きっと何かを掴めると願っていた。そうでもしなければ彼女はもう自分を保てなかったんだと思う。
最後まで僕は強かった。コジマと僕は対照的に見える。いつかは終わる、と両足で踏ん張ることができる、恐怖の対象に対して向き合うことも、どうしたら辛い気持ちが蓄積しないか考えて行動することもできていた。救世主のように見えていたコジマは結局悪魔だった。コジマからの手紙を丁寧に収納し、辛いことがあるたびに思い返して手紙を愛おしく思う僕。
私がヘヴンの中で好きな登場人物は百瀬だった。心の底から最低最悪な男、二ノ宮みたいなガキと違って世の中を達観したような目で物を語る憎たらしい奴。虐められている側はいじめという行為が一体どんな行為なのかがわかる、虐めている側はそれが何なのかわかっていない。でも百瀬はその境目で薄笑いしながら、虐められる対象を見下しているようだった。その残酷さがもはや清々しかった。すごく顔の整った茶髪の綺麗な髪の学生をイメージした。頭が良さそうな、それでいて上手く物をこなせて、見た目も色々と気にしているような男。そういう男って男の集団にいたら浮いたり淘汰されたりしそうだけど、あの賢さと頭の回転の速さなら慕われるのもわかる。
裸で土砂降りに降られた日、コジマが流した涙はきっと諦めで、あの日を境に僕は解放された。心の支えがなくなったはずなのに、元々そんな支えはないに等しいものだった。逆に心を縛り付ける何かだったんだと思う。僕はそれをどこかで感じていた。僕はコジマの弱さをもうずっと前から分かっていたから、その寂しさのなかでも目の手術を決意できた。目の手術をすると決める、ということは、コジマとの心の決別に値する。