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独学ミュージシャンめっちゃ多いのに独学ピアニストほぼゼロの理由

(前回のあらすじ)
彼ことRen Yengchiはギターの教則本を求めて書店を訪れた。彼の目に止まったのは「7日間でマスターするロックギター」という、だれが見ても怪しげなタイトルの本だった。しかしまるで神の啓示に導かれるかのように彼はその本を手に入れる。そして7日後、あらゆる名曲をパワーコードだけで強引に弾き倒してしまう、残念なギタリストが意図せずして爆誕してしまったのである!

魔導書「7日間でマスターするロックギター」の導きにより洋楽ロック大好き人間になった彼だが、CDを買う資金がない。そこで目をつけたのがラジオだった。当時の日本では洋楽ロックばかり流す番組が探せばいくらでも見つかったのである。

最初こそロックを聴くためにラジオに手を伸ばしたが、気づくとロックとは名のつかない音楽も好んで聴くようになっていた。特にNHK-FMでは現代音楽や民族音楽にジャズと、彼にとっては未知の世界が広がっていた。

とりわけジャズには強く興味を惹かれた。そして、とある真夏の夜、彼は蛍光灯を消した室内で、かのチャーリー・パーカーと出会うのである。

こうして彼はジャズの世界に両足を踏み入れた。だがパーカーとの出会いに関しては次回で詳細を書くことにしたい。

ジャズ大好き人間になった彼だが、ひとつ問題がある。

この時点で彼はギタリストだったが、ギターという楽器は、ジャズという音楽ジャンルにおいて、平凡どころかあらゆる演奏者から忌み嫌われ、差別される最下層の楽器だったのである。

ジャズという音楽ジャンルにおいてはあらゆる楽器が主役になる。だが端的に、ギター主体のジャズとは「ジャズギタリスト」と「ジャズギタリストになりたい人」にしか聴かれていないジャズの中でもあまりにもニッチなジャズである。ただ「ジャズギタリストになりたい人」がいつの時代もどこの国でも一定数いるので商売が成り立っているに過ぎない。

だからギターを使ってジャズを演奏することなど彼には論外だった。

ここまで読んで、こいつはサックスを始めるつもりじゃないかと思うかもしれないが、当時の1ヶ月の「お小遣い」はCD2枚(←増えてる!)と、ギターの弦と、単2乾電池6本(←以前の投稿を参照)でゼロになっていたのでサックスを買う資金などあるわけがなかった。

そこで彼は自宅にあるピアノを弾いてみることを思いついた。姉がピアノ教室に通っていたので自宅にはアップライトピアノが置いてある。彼の家庭は今にして思うと裕福だったが、姉と違って彼はピアノを習っていなかった。ピアノは裕福な家庭の女子が習うもので男子にピアノを習わせてはいけないという儒教的な価値観の両親の元で育てられたのでピアノの存在にこの時まで気づかなかったのである。

アジア人のみならず、人類はみなピアノが大好きである。

「オレ音楽は詳しくないんだよね」などと言っているオシャレな人が普段聴く音楽ではだいたいピアノが鳴っている

ジャズとて例外ではなく、ピアノ主体のジャズはいつでもどこでも大人気である。「オレ音楽は詳しくないんだけどジャズとか聴くんだよね」などと言っているオシャレな人が普段聴くジャズではだいたいピアノが鳴っている

一方で、ギター主体のジャズはというと「すき家」のBGMでしか聴かれていないのである!

だから彼はサックスに強い憧れを抱きつつも、ギターよりはピアノのほうがまだマシだと判断したのである。

さっそく彼はピアノの前に座るが、当然ながらどうすることもできない。彼はパワーコードしか知らない人間なので、88個あるピアノの鍵盤のうち、どこが「ドレミ」なのかすらわからなかった。

そこで彼が向かったのは例によって商店街のしょぼい書店である。音楽の棚の前に立つ。さすがにピアノの世界は良心的というか、「7日間でマスターするジャズピアノ」なんてタイトルの教則本は置いていなかった。

そもそもジャズの教則本が見つからなかった。というのも彼はクラシック音楽しか(〜以下省略)ので、ジャズという音楽は世間での知名度のわりに、楽器を演奏する人間の、その中でもごく一握りの特殊な変態どもにしか聴かれていない実は大変にニッチな音楽ジャンルであることを知らなかったのだ。

仕方なく彼はタイトルと内容からなんとなく初心者向けと思われる教則本を買うことに決めた。ここでその本のタイトルを明記しないのは、あの「7日間でマスターするロックギター」と違って、彼の人生にそれほど影響を与えなかったからである。

その教則本に書いてあったのは「指3本あればピアノは弾ける」ということだった。詳述はしないが、3本の指で鍵盤を押さえれば少なくともコード弾きで歌の伴奏はできる。
勇気づけられたのが、それまでギターとベースくらいしか触ったことのなかったビートルズのジョンとポールも最初は3本指コード奏法だけでピアノを弾いていたという逸話だった。性格の違いなのか、その後は真面目にピアノを練習するようになったポールと違って、ジョンのほうは晩年まで3本指コードだけで作曲していたという。

彼はピアノの練習を開始した。

音楽に興味のない人からは「ピアノって独学で弾けるものなの?」とよく訊かれるが、意外と簡単に弾ける。ただしめっちゃ苦労する楽譜読めないともっと苦労する。特に遅い年齢でピアノ始めた人は半年くらい練習をサボっていると二度と弾けなくなる

そして幼少期からピアノを習った人と違って、必死で練習しても必ずどこかのレベルで限界がくる。左右10本の指を同時にバラバラに動かすという芸当は、幼少期の継続的な習慣づけがないと簡単には身につかない。彼とて例外ではなく、今となっては敬愛する作曲家フィリップ・グラスのピアノ曲の中でも一番簡単なものを何とかたどたどしく鳴らせる程度でしかない。

それでも当時の彼はピアノの練習を熱心に続けた。徐々に楽譜が読めるようになり、コードやスケールといった知識も身についた。ジャズピアノは、ある程度の音楽理論を知らないとそもそも練習にすらならない。だからピアノに取り組むことで、必然的に理論を知り、楽譜の読み書きができるようになるのだ。

彼は自分が「なんかこのコードにはこのフレーズが合う」と感じて鳴らした音が、ちゃんと音楽理論に従ったものだということを理解した。そのことに喜びを覚えた。言語学でいうシニフィアンとシニフィエが結びついた瞬間である。まあ要するにデタラメな演奏しかできなかった人間が、音楽的に意味のあるフレーズが弾けるようになったわけである。

とはいえ現在の彼は既存の音楽理論というか西洋音楽のシステム自体に違和感と嫌悪感を抱いているのだが、それはまた別の話である。

、、、

やがて彼はアルバイトを始めたこともあって、ようやく楽器の購入資金を自分で稼げるようになり、サックスを手に入れることを決意した。

また、それから20年後、30代も後半に差し掛かった彼は、自身の音楽性の向上を求めて電子ピアノを購入するのだが、それはまた別の話である。

あの時ピアノに挑戦しようと思ったことを彼は後悔していない。
もしもピアノに触れなかったら、彼は現在でもパワーコードしか使わない作曲家になっていたはずだからだ。

(つづく)

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